県の最南西部にあり、東は
糸魚川の地名の起源として、姫川をイトヨ(糸魚)の来る清らかな川とする説がある。至徳四年(一三八七)九月日の市川頼房軍忠状(市河文書)に糸井川とある。寛正六年(一四六五)七月、この地を通った京都の僧常光院尭恵は「善光寺紀行」に「また程へて。いとい川といふ河あり。世中はいかゝ有けむいとい河いとひし身さへ行ゑしられす」と記している。「北越軍記」では天正一三年(一五八五)丸田伊豆守の居城
姫川の支流
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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