デジタル大辞泉
「糸魚川市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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糸魚川市
いといがわし
面積:四六七・一四平方キロ(境界未定)
県の最南西部にあり、東は西頸城郡能生町、南は中頸城郡妙高高原町・長野県北安曇郡小谷村、西は富山県下新川郡朝日町と西頸城郡青海町に接し、北は日本海である。長野県と富山県の県境は飛騨山脈の山岳地帯で、犬ヶ岳(一五九三メートル)・朝日岳(二四一八・三メートル)・雪倉岳(二六一〇・九メートル)・白馬岳(二九三二・二メートル)・小蓮華山(二七六九メートル)・乗鞍岳(二四三六・七メートル)・雨飾山(一九六三・二メートル)などの高山が連なる。中頸城郡との境にある焼山(二四〇〇・三メートル)は妙高火山群中唯一の活火山で、知られているものとしては仁和三年(八八七)以来度々爆発し、最近では昭和二四年(一九四九)・同三八年・同四九年に爆発した。これらの高山に連なる支脈が北の日本海へ押出て、山々の間をぬって姫川・海川・早川が急流となって流れ下る。この流域と海岸部のわずかな平地に田が開け、居住地がある。谷ごとに分けてよばれ、近世には姫川沿いの川西谷、その支流根知川沿いの根知谷、海川沿いの西海谷、早川沿いの早川谷に大きく分けられ、それらの中心に糸魚川町七町(八町とも)が位置した。日本海に沿って国道八号(北陸道)・国鉄北陸本線、姫川に沿って国道一四八号(信州街道)・国鉄大糸線が通り、ほぼこれと同じルートが近世までも交通の幹線であった。姫川の流れは、本州弧の中央部を南北に横断し、東北日本と西南日本を分けるフォッサマグナにほぼ沿っている。
糸魚川の地名の起源として、姫川をイトヨ(糸魚)の来る清らかな川とする説がある。至徳四年(一三八七)九月日の市川頼房軍忠状(市河文書)に糸井川とある。寛正六年(一四六五)七月、この地を通った京都の僧常光院尭恵は「善光寺紀行」に「また程へて。いとい川といふ河あり。世中はいかゝ有けむいとい河いとひし身さへ行ゑしられす」と記している。「北越軍記」では天正一三年(一五八五)丸田伊豆守の居城厭川とある。現在の糸魚川市域は、かつては現西頸城郡域を含めて沼川・西浜とよばれ、越後と越中・信濃との接点として重視されたと思われる。しかしその歴史を示す史料は少ない。現市域のみに限った歴史を描くのは困難なので、詳細は西頸城郡の項目に譲る。
〔原始・古代・中世〕
姫川の支流小滝川は富山県境に源を発するが、この渓谷に翡翠(硬玉)の原石があることが発見されたのは、昭和一三年であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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