朝日日本歴史人物事典 「大江清定」の解説
大江清定
鎌倉時代後期の悪党張本。のちに名を清高と改めた。伊賀国の東大寺領黒田荘(三重県名張市)に在住。弘安1(1278)年ごろ東大寺に反抗,寺家より相伝の下司職を没収され,荘園管理組織からはずされた。いらい本所違背・供料抑留・山賊強盗をはたらき,「大犯」の悪党として鎌倉幕府の手により身柄を拘禁,弘安9年に出雲国へ流された。しかし元亨4(1324)年2月までには黒田荘に還住,寺家敵対の活動を再開した。武家使節の取り締まりは手ぬるく,ために縁者の住宅を城郭にするなどの縦横の活動であった。嘉暦3(1328)年ようやく六波羅に召進された。<参考文献>小泉宜石『悪党』
(新井孝重)
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