悪党(読み)あくとう

精選版 日本国語大辞典 「悪党」の意味・読み・例文・類語

あく‐とう ‥タウ【悪党】

〘名〙
① 悪事をはたらく者の集団。また、後には一人の場合にもいう。
※続日本紀‐霊亀二年(716)五月丙申「然不遵奉、隠蔵売買、是以、鋳銭悪党、多肆姧詐
※鼠坂(1912)〈森鴎外〉「本当に小川さんは、優しい顔はしてゐても悪党(アクタウ)だわねえ」
② 鎌倉末から室町時代前期に活発な動きを示した、荘園の反領主的な武士・荘民とその集団。
※園太暦‐貞和三年(1347)七月三日「正安三年 依悪党沙汰事南都僧抑留公請云々」
③ 人をののしって呼ぶ言葉。
※渚(1907)〈国木田独歩〉三「畜生! 恩知らず、悪党(アクタウ)、馬鹿親爺!」

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デジタル大辞泉 「悪党」の意味・読み・例文・類語

あく‐とう〔‐タウ〕【悪党】

悪事を働く者の仲間。
悪人。悪者。
中世、特に南北朝時代荘園領主や幕府に反抗した荘民とその集団。
[類語]凶漢凶賊奸賊海賊山賊賊徒賊子逆賊謀反人悪人悪者悪漢悪玉悪女毒婦食わせ物詐欺師山師ペテン師いかさま師あくわる凶徒凶手人非人人でなし奸物曲者暴漢暴れ者暴れん坊暴徒荒くれ者ごろつきならず者地回りやくざ暴力団無頼漢無法者与太者ごろちんぴらあぶれ者

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改訂新版 世界大百科事典 「悪党」の意味・わかりやすい解説

悪党 (あくとう)

一般的には悪事を働く集団。〈わるもの〉。歴史的には鎌倉後期から南北朝期にかけて,秩序ある体制を固めようとする支配者によって,夜討,強盗,山賊,海賊などの悪行を理由に,禁圧の対象とされた武装集団をさす。《峯相(みねあい)記》によると,悪党はそのころ山伏や非人の服装であった柿色の帷子(かたびら)を着て,笠を被り,面を覆い,飛礫(つぶて),撮棒(さいぼう),走木(はしりぎ)など,特有の武器を駆使して,博奕や盗みをこととし,荘園などの紛争がおこると,賄賂をとって一方に荷担しつつ,状況によっては平然と寝返るなど,奔放な活動を展開した。当時,山野河海,道路などの〈無主〉の場においては,世俗の秩序からみて山賊,海賊などといわれた行為を,むしろ当然のこととする慣習があり,悪党が山伏のような〈無縁〉の人の姿をしたのも,そこに理由があったと思われる。実際,悪党の中には,狩猟・漁労,商工業,交通,金融など非農業的生業に主として携わり,本拠を中心に広く遍歴する人々が多く,供御人(くごにん),神人(じにん),山僧などの地位を持つ人も少なくない。畿内とその周辺の武士団も,かなり一般的に同様の性格を色濃く持っており,御家人で神人を兼ね,悪党といわれた事例も見いだしうる。

 鎌倉後期以降,こうした人々は下級荘官や代官となって荘園を請け負い,荘園支配者の対立の間をぬって地歩を保ち,富を積んで無視しがたい勢力になってくるが,その背景には,このような悪党的行動による致富,貨幣の集積を積極的に肯定する時代の風潮があったのである。これに対し,鎌倉幕府は1258年(正嘉2)に悪党禁圧令を発したのをはじめ,モンゴル襲来のさいには,その統治権を西国にまで拡大して悪党の制圧につとめた。とくに1324年(正中1)には,本所一円地への守護使の入部を含むきびしい禁圧令をもってこれに臨んだが,効果なく,むしろ頻発する紛争のさい,当事者が互いに相手を〈悪党〉と呼び,禁圧令を適用させようとする動きが広がり,幕府に対する不信感を増大させる結果を生んだ。

 この不満を組織して,討幕の方向に導いたのが後醍醐天皇で,楠木正成,赤松円心,名和長年など,その直属武力はいずれも悪党的性格を持つ武士団であった。南朝が室町幕府に完全に圧倒されながらも,長く命脈を保ったのは,悪党・海賊的な武力を多少ともその基盤となしえたからにほかならない。一方,室町幕府でも,高師直(こうのもろなお)がこうした武士を組織したのに対し,足利直義は寺社本所の申請に応じ,守護を通じて悪党鎮圧を強行,幕府の方針は動揺をつづけた。しかし動乱の中で,悪党的な武士自身,守護の被官となり,国人一揆を形成するなど,しだいに組織化される一方,商工業者,金融業者として都市に定着するものも多く,悪党的な風潮は徐々に時代の表面から退いていく。そして室町期以降には悪党の呼称も《日葡辞書》に〈盗人や追剝など悪者の仲間〉とあるように,もっぱら夜盗,盗賊をさす限定された意味の言葉となっていった。
横行人(おうぎょうにん)
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「悪党」の意味・わかりやすい解説

悪党
あくとう

鎌倉中・末期から南北朝内乱期にかけて、反幕府、反荘園(しょうえん)体制的行動をとった在地領主、新興商人、有力農民らの集団をいう。悪党は、山賊、海賊とともに、鎌倉幕府から鎮圧の対象とされた。悪党は、(1)荘園領主による代官職の否認、(2)得宗(とくそう)(北条)政権による御家人(ごけにん)所領(地頭職)の否定、(3)得宗政権の経済政策(港湾・都市など独占)の強行、(4)支配下農民との矛盾対立、(5)蒙古(もうこ)襲来を契機とする社会経済情勢の急激な変化、などを要因として発生した。彼らは、悪党張本(ちょうほん)を中心に、一族、下人(げにん)、所従(しょじゅう)など血縁関係者を集め、さらに近隣の在地領主層と連携して、当該地域における分業、流通の支配を目ざし、数百人に及ぶ傭兵(ようへい)を組織することもあった。

 13世紀の後半に活動を開始した伊賀国(三重県)黒田庄(しょう)の悪党は、東大寺年貢米を奪い、寺使を追放して路次(ろじ)を切りふさぎ、やがて荘民の支持を受けて、東大寺から独立を宣言するに至った。14世紀の初頭、播磨(はりま)国(兵庫県)矢野庄では、在地領主寺田氏が夫役をめぐって農民と対立し、荘内に城郭を構えて討伐軍と戦い、ついには都鄙(とひ)名誉の悪党と称されるまでになった。1315年(正和4)兵庫関を襲った悪党は、瀬戸内海沿岸から淀(よど)川流域にかけて拠点をもつ山僧良慶以下100余人の商人集団であり、彼らは、得宗家の港湾独占に反対して蜂起(ほうき)したのであった。悪党は「ハシリヲツカイ、飛礫(ひれき)ヲナゲ」(峰相(ほうそう)記)て、敵軍を悩ませ、奇襲攻撃を得意とし、行動範囲が数か国に及ぶこともあった。異類異形(いるいいぎょう)の人々とよばれているが、その組織行動は、鎌倉幕府の御家人体制とは明瞭(めいりょう)に異なっている。諸国悪党の蜂起は内乱状況を生み出し、畿内(きない)近国の悪党を組織した後醍醐(ごだいご)天皇の討幕運動が鎌倉幕府を崩壊させたのである。地域的支配を目ざす悪党の組織は、14世紀の後半には国人一揆(こくじんいっき)の組織へと受け継がれていく。

[佐藤和彦]

『佐藤和彦著『南北朝内乱史論』(1979・東京大学出版会)』『小泉宜右著『悪党』(教育社歴史新書)』

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百科事典マイペディア 「悪党」の意味・わかりやすい解説

悪党【あくとう】

夜討(ようち)・強盗の類として,鎌倉幕府の禁圧の対象となった武装集団。鎌倉中期以降,畿内近国,特に流通路周辺に多発。しばしば山僧,借上(かしあげ)と密接に関係し,農民を含むこともある。多くは貨幣経済発展に伴う社会の動揺に巻き込まれた武士などの新たな動きだったが,遍歴して業を営む非農業民も多かった。鎌倉幕府の滅亡から南北朝内乱期には,楠木正成赤松則村らの悪党的性格をもつ武士団が重要な役割を果たした。
→関連項目荒川荘鎌倉幕府後醍醐天皇佐々目郷荘園(日本)平野殿荘峯相記

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「悪党」の解説

悪党
あくとう

鎌倉後期~南北朝期に公武政権や荘園領主に敵対し,各地で蜂起した集団のこと。畿内やその周辺では荘園領主の力が強く,在地の武士の成長が押さえられた。荘園領主の支配に抵抗して年貢や公事(くじ)を納めない武士は訴えられ,悪党として幕府の検断の対象となった。夜討・強盗・山賊・海賊などは悪党の典型的な行動とされるが,商売や金融上のいざこざにもとづくものも少なくなかった。西国武士があわせもっていた商工業者,金融業者,交通・運輸業者などの側面が,まだうまく支配体系のなかに編成されていなかったことが悪党発生の一因。14世紀後半,都市や分業が発達し,悪党が荘園領主の代官や守護の被官などに組織されるようになると消滅した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「悪党」の意味・わかりやすい解説

悪党
あくとう

悪者の意であるが,特に鎌倉時代末期以降,幕府や荘園領主に反抗する地頭御家人非御家人名主 (みょうしゅ) などの集団をいった。次第に大勢力となり,荘園支配を脅かし,室町時代には国人 (こくにん) に発展した。後醍醐天皇に従った東大寺領伊賀国黒田荘の悪党などが有名。江戸時代には博徒らをこの名で呼んだ。

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普及版 字通 「悪党」の読み・字形・画数・意味

【悪党】あくとう(たう)

悪人たちの仲間。唐・懿宗〔宝位に登る教書〕元和末の惡黨、後處斷の人、數已に多し。今より以後、宜しく一切問はざるべし。

字通「悪」の項目を見る

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旺文社日本史事典 三訂版 「悪党」の解説

悪党
あくとう

鎌倉中期以降に現れた新興領主層
農村経済の発達,農村の分解の進展に伴って,鎌倉幕府や荘園領主の支配に従わず,武力をたのみ,自力で地域的な封建的権力を在地につくろうとする武士・領主層が,畿内先進地帯に多く現れた。彼らの行動は支配者側の体制を崩すものであったため,鎌倉幕府からは体制を乱す者という意味あいから悪党と呼ばれ,取締りの対象とされた。

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デジタル大辞泉プラス 「悪党」の解説

悪党〔映画〕

1965年公開の日本映画。監督・脚色:新藤兼人、原作:谷崎潤一郎による戯曲『顔世』、撮影:黒田清巳。出演:小沢栄太郎、岸田今日子、乙羽信子、木村功、殿山泰司、加地健太郎、清水絃治ほか。

悪党〔小説〕

米国の作家ロバート・B・パーカーのハードボイルド小説(1997)。原題《Small Vices》。「スペンサー」シリーズ。

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世界大百科事典(旧版)内の悪党の言及

【悪】より

… 一方,すでに834年(承和1)の太政官符に主殿寮・主鷹司などの雑色(ぞうしき)・駈使(はせづかい)・犬飼・餌取が市で押買(おしがい)等の不法をするのを〈悪行〉とし,麁悪(そあく)な調物を〈濫悪〉〈濫穢〉といい,無法な罵言や暴力的行為を〈凶悪〉〈濫悪〉とする見方もあったが,12世紀に入るころには〈不善〉という言葉は激減し,さきの殺害などに,鳥獣,魚の殺生や分水の押妨等の行為を含めて,端的に悪行・悪事として糾弾されるようになる。殺生を悪とする仏教思想の浸透をそこにうかがうことができるが,〈党を結び,群れを成す〉といわれた悪徒・悪党は当時台頭しつつあった武士団そのもの,あるいは漁猟民を含む商工業者,金融業者などで,武装した僧兵―悪僧も大寺院が組織したこのような人々であった。これらの人々の世界では,戦場や夜,山野河海,境など,ある条件の下では〈悪〉と非難された行為を当然とし,むしろ積極的に評価する風潮が広く広がっていた。…

【荒川荘】より

…当荘には地頭はおかれなかったが,93年(建久4)在地で勢力のあった公文盛景が追放され,以後高野山の直務支配が確立する。ところが鎌倉後期の弘安年間以降,悪党事件が発生し,この鎮圧に高野山は手を焼いた。悪党の張本は源為時(法心)といい,荘内の山門末寺高野(たかの)寺の僧でもあった。…

【印地】より

…無礼の者,広く反感をかった者,罪人に対する飛礫も同様の意味からであろう。また〈向へ礫,印地,云甲斐なき辻冠者原,乞食法師ども〉(《平家物語》),〈河原ゐんぢやとざまなる悪党の奴原〉(《渋柿》)といわれたように,飛礫は〈清目(きよめ)〉を職能とする非人あるいは悪党と密接な関係があり,白河辺には〈向飛礫の輩〉といわれ,老若の組織を持つ印地の党がいたのである。 飛礫はときに武芸による刃傷を伴ったので,1263年(弘長3)の公家新制の禁止,あるいは66年(文永3)鎌倉比企谷でおこった甲乙人の飛礫に対する幕府の禁圧のように,支配者は抑制しようと試みたが,実効はなく,飛礫に神意を見る民衆の根強い感情を背景に,鎌倉・南北朝期には飛礫を打つ人々を英雄視する見方も強かった。…

【黒田荘】より

…鎌倉後期に入ると,職(しき)の分化や脇名の形成にみられる在地構造の変化を背景に,これら中小領主が支配権の拡大・強化を図り,一般荘民も巻き込んで,東大寺に反逆する動きを示すようになる。いわゆる黒田荘の悪党である。弘安年間から活発になる悪党の行動は,必ずしも全荘民の支持をうけたものではなかったが,たび重なる東大寺・六波羅・守護の鎮圧にもかかわらず,南北朝期まで続き,東大寺の支配を動揺させた。…

【瀬戸内海】より

…彼らの間では相互の競争が激しく,競争相手の失脚をねらう行動はしばしば荘民を巻添えにした。このような者たちは悪党と呼ばれたが,瀬戸内では特に繁栄した港町を襲撃する悪党が多かった。この時期の海賊も悪党と近いが,その背後には海をおもな生活舞台とする海民があった。…

【党】より

…党の性格は多様で,かつ時代の推移にともなって変化しているため,固定的にとらえることは困難である。武士の党が発生する以前に,平安時代には〈党類〉〈群党〉などの用法がみられ,さらに〈僦馬党(しゆうばのとう)〉の存在があり,中世にも〈悪党〉などと用いられている。これらの〈党〉という言葉の意味は,いずれも〈むれ〉〈集団〉に対する呼称であり,その場合,構成員間の結合した組織体的性格は希薄である。…

【畑時能】より

…《太平記》巻二十二によれば,がんらい武蔵国住人であったが,のち信濃国に移住したといい,武芸全般に優れ山野河海に漁猟したという。いわゆる典型的な〈悪党〉である。北陸越前において,新田義貞の敗死後,南朝方の武将として一井(いちのい)氏政らとともに鷹巣城(福井市高須町)に拠って守護斯波高経の軍と戦い,1341年敗死した。…

【播磨国】より

…《峯相記》は文永(1264‐75)ころ播磨に美麗な念仏堂が造立されたと伝えるが,安志(あんじ),浦上,河内,鵤(いかるが),飾万津などいずれも海陸交通の要所であり,その檀越の経済力の成因を想像することができる。 これと並行して播磨では悪党の活躍が正安・乾元(1299‐1303)ころから目だってくる。1319年(元応1)六波羅は悪党取締りのため飯尾為頼らを派遣して,守護代とともに明石と投石の両所を警備させた。…

【漂泊民】より

…しかしこの行為が公認されることなく行われたとき,漂泊民・遍歴民はしばしば海賊,山賊になったのである。13世紀後半から重大な政治問題となった悪党も,こうした漂泊民の動向とかかわりがあり,彼らは柿帷を着て覆面をするという漂泊民―非人の衣装を身につけ,ときには〈金銀ヲチリバメ,鎧・腹巻テリカガヤクバカリ〉(《峯相記》)という〈ばさら〉の風体で姿を現したのである。 14世紀にかけて,こうした〈ばさら〉な風潮を積極的に肯定する動きが世に広がる反面,悪党―漂泊民の風体を〈人倫ニ異ナル〉〈異類異形〉として忌避,嫌悪する風潮が定住民の側にしだいに強くなってくる。…

※「悪党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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