大溝節子(読み)オオミゾ セツコ

20世紀日本人名事典 「大溝節子」の解説

大溝 節子
オオミゾ セツコ

昭和期の教育者,カトリック修道女 元・コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会日本管区長。



生年
大正14(1925)年1月30日

没年
昭和60(1985)年7月8日(現地時間)

出生地
米国・シアトル

学歴〔年〕
聖心女子大学〔昭和37年〕卒,上智大学大学院〔昭和43年〕修了

経歴
日系2世として米国・シアトルに生まれる。昭和7年一家を挙げて中国遼寧省撫順に渡り、同地で女学校を卒業。19年日本に移り双葉学園、聖心女学院へ進み、37年聖心女子大学を卒業。この間、30年コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会シスターとなる。43年上智大学大学院を修了し、同年4月〜51年3月福島市の桜の聖母学院教師となり校長に就任。同年4月〜59年東京調布市のコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会日本管区長を務めた。同年4月ラテンアメリカ(ホンジュラスグアテマラ)を視察、9月米国シカゴのロヨラ大学で研修、のちオハイオ州ミルフォードのイエズス会インターンに参加中の60年7月病没した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大溝節子」の解説

大溝節子 おおみぞ-せつこ

1925-1985 昭和時代後期の教育者。
大正14年1月30日シアトル生まれ。日系二世。昭和7年中国に,19年日本にうつる。43年福島市の桜の聖母学院教師,のち校長となる。51年から59年まで東京都調布市のコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会日本管区長をつとめた。昭和60年7月8日死去。60歳。聖心女子大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大溝節子」の解説

大溝 節子 (おおみぞ せつこ)

生年月日:1925年1月30日
昭和時代の教育者
1985年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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