大疑録(読み)たいぎろく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大疑録」の意味・わかりやすい解説

大疑録
たいぎろく

江戸前期の儒者貝原益軒(かいばらえきけん)が最晩年にまとめた朱子学批判の書。1713年(正徳3)に成る。二巻。青年期に朱子・陽明兼学を志した益軒は福岡藩主黒田光之(みつゆき)に仕え、約10年間京都へ遊学させられた。在京中36歳のとき、明(みん)の陳清瀾(ちんせいらん)の陽明学批判書『学蔀通辨(がくほうつうべん)』を読み、朱子学一途に進む決意を表明した。その後も伊藤仁斎(じんさい)との出会い、また彼自身の博物学的研究を介し朱子学のもつ観念性への疑問を募らせ、明の修正朱子学派、罹整庵(らせいあん)の『困知記』、呉蘇原(ごそげん)の『吉斎漫録(きっさいまんろく)』などによりそれを確かめ、本書の成立に至った。益軒は理気合一論、さらに気一元論をとり、古学派に近い立場であった。本書は彼の没後半世紀を経た1767年(明和4)に、徂徠(そらい)派により出版された。

[井上 忠]

『井上忠著『貝原益軒』(1963・吉川弘文館)』『『益軒全集 第二巻』(1911・隆文館)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大疑録」の意味・わかりやすい解説

大疑録
たいぎろく

江戸時代前期の儒学者貝原益軒の著。正徳4 (1714) 年成立。死没の2ヵ月ほど前に書かれたもので朱子学に対する疑念,批判を述べたもの。

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世界大百科事典(旧版)内の大疑録の言及

【貝原益軒】より

…壮年期に黒田藩に再就職し,京都に数年間藩費留学して松永尺五,木下順庵らの包容力に富んだ学風の朱子学者や,中村惕斎,向井元升らの博物学者と交際し,また元禄直前の商業貨幣経済の進展を背景として上方(京坂地方)を中心に起こりつつある経験・実証主義思潮を体認し,後年それをあらゆる方面に最大限に発揮させ,膨大な編著を残した。まず儒学では青年期には朱子・陽明兼学であったが,京都遊学を経て朱子学いちずに進む方針を定め,しかもなおその観念性に疑問をいだき続け,晩年に《大疑録》を著し古学派的傾向を示した。また藩命で《黒田家譜》《筑前国続風土記》などを編述した。…

※「大疑録」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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