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朱子学 しゅしがく Zhu-zi-xue

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朱子学
しゅしがく
Zhu-zi-xue

道学,理学,宋学,性理学,程朱学,新儒学などともいう。中国,南宋の朱子,あるいは朱子に代表される人々の学説。周敦頤 (しゅうとんい) ,程 顥 (ていこう) ,程頤 (ていい) ,張載 (ちょうさい) などの思想を,仏教や道教に触発されながら体系化したもので,宋以後の中国,朝鮮,日本の中核的思想となった。

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デジタル大辞泉の解説

しゅし‐がく【朱子学】

中国、南宋の朱熹が大成した新しい儒学理気説を基本に、人の本性は理であり善であるが、気質の清濁により聖と凡の別があるとし、敬を忘れず行を慎んで外界の事物の理を窮めて知を磨き、人格・学問を完成する実践道徳を唱えた。日本では江戸幕府から官学として保護された。程朱学。宋学。道学。朱学。

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百科事典マイペディアの解説

朱子学【しゅしがく】

儒学の一学派で,朱熹(朱子)およびその系統をひく学問。北宋の程子(程【こう】程頤)の影響を強く受けているので,程朱学ともいう。欧米ではNeo-Confu cianism(新儒教)。
→関連項目安積艮斎安積澹泊新井白石石田梅岩伊藤仁斎王守仁大橋訥庵貝原益軒仮名性理蒲生君平寛政異学の禁菅茶山木下順庵京学熊沢蕃山孔子興譲館古賀精里斎藤拙堂佐藤一斎時習館閑谷学校実学修猷館儒教朱舜水昌平坂学問所慎思録駿台雑話正学聖教要録清田【たん】叟大日本史立原翠軒程朱学中井竹山中井履軒中村【てき】斎南学日新館林述斎藩版尾藤二洲保科正之松平定信水戸学室鳩巣明倫館山鹿素行山片蟠桃山崎闇斎頼春水

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世界大百科事典 第2版の解説

しゅしがく【朱子学 Zhū zǐ xué】

中国,南宋の朱熹(しゆき)(子)によって集大成された思想体系。朱熹自身は自己の教義を〈道学〉〈理学〉〈聖学〉〈実学〉〈義理の学〉などと呼んだ。これらは本来,北宋時代に興った新儒教の一派の自称であって,朱熹はその教義のもっとも正統な後継者をもって自任していたのである。とりわけ〈道学〉という呼称は,朱熹の晩年,当局がこれを〈偽学〉と貶称(へんしよう)して危険思想の烙印(らくいん)を押し,朱熹とその学団を弾圧するに及んで,かえって社会的に定着した。

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大辞林 第三版の解説

しゅしがく【朱子学】

南宋の朱熹によって大成された儒学説。禅学の影響に対抗しつつ、周敦頤しゆうとんいに始まり程顥ていこう・程頤ていいなどのあとをうけて旧来の儒教経典に大胆な形而上学的新解釈を加えて成立。理気説による宇宙論・存在論、格物致知を基とした実践論を説く。日本には鎌倉時代に伝えられ、江戸時代に普及して、官学として封建社会の中心思想となった。朱学。宋学。道学。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朱子学
しゅしがく

中国、南宋(なんそう)の朱熹(しゅき)(朱子)によって築き上げられた新しい儒学。六朝(りくちょう)時代から隋唐(ずいとう)時代の思想界を席巻(せっけん)した仏教・道教に対抗してこれを乗り越えるべく、ややもすると煩瑣(はんさ)にして空虚なる字句注釈に陥った旧来の章句の学からの脱却を図り、改めて経書の真精神、孔孟(こうもう)の真に意図するところを明らかにしようという宋代儒学の完成したものである。その学説は、北宋(ほくそう)の周敦頤(しゅうとんい)、張載(ちょうさい)、程(ていこう)、程頤(ていい)およびその学統に連なる道学者の学説を集大成し、とくに二程(とりわけ程頤)の学統を引き、その説を継承発展させたものである(したがって程朱学ともよぶ)。朱熹によれば、周張二程らは、堯(ぎょう)・舜(しゅん)以来聖人に伝授されて孔子に至り、さらに孔子(孔丘(こうきゅう))の教えを正しく祖述した孟子(もうし)(孟軻(もうか))以後断絶してしまった真の「道」をふたたび復興したもので(道統の説)、朱熹自身その継承者たらんとするものであった。かかる道統の説と密接な関連をもって、すなわち孔子、曽子(そうし)、子思、孟子という儒学の伝授を認めて四書(ししょ)を重んじ、これに学問の目的とその次第を考え、五経の入門・階梯(かいてい)の書とした。そして四書に注釈を加えるとともに(『四書集註(しっちゅう)』)、広く経典を研究しその再解釈を試みた(これを新注という)。[大島 晃]

思想的特徴

その思想理論上、特筆すべきは、仏教・道教の影響を受けながら理気心性の学を樹立したことである(性理学ともいう)。理と気とを2本の柱として生成論・存在論から心性論・修養論にわたった整然たる理論体系を完成したことは空前絶後のことで、朱熹以後、清(しん)代中期に至るまで朱子学派に属する人々はもちろんのこと、これに反対する人々もみな朱熹の理論を土台とし出発点としている。とくに理の思想は程頤、気の思想は張載の影響を受けている。形而下(けいじか)なる気は物質を形成する根源、一気の流行に伴い陰陽・五行の交感、結合によって万物が生成される。形而上なる理は所以然(しょいぜん)の故(こ)(事物の存在の根拠)、所当然(しょとうぜん)の則(そく)(事物の当為としての面とくに道徳の規範)さらに条理とも説明される。あらゆる事物は気によって形成され理が賦与されており、本性は理を受けて備わる(「性即理」という)。人間は肉体を形成する気質の阻害を除去してこの本性の十全なる発現を目ざすべきで、それに向けてのくふうが居敬(きょけい)と窮理(きゅうり)(格物致知(かくぶつちち))であった。なお理気は原則的に相互依存・同時存在の関係にあるが、理が存在の原理としての性格をもつことから理気の先後が問題にされ、理のほうが優越して考えられている。つまり理はア・プリオリ(先天的)に事物の存在を規定する根本原理であり、しかも道徳的法則でもあるから、名教的規範として機能した。朱熹以後、かかる理の性格や理気の関係をめぐり、さまざまな考え方が出されることになった。[大島 晃]

朱子学の隆盛とその影響

朱子学は朱熹の晩年には偽学として圧迫されたが、死後名誉回復がなされ、官学への道を歩み始めた。明(みん)の永楽(えいらく)年間(1403~24)に『四書・五経大全』『性理大全』が編集されて科挙の試験に用いられ、朱子学の正統的地位は清末まで続いた。朝鮮では李退渓(りたいけい)、李栗谷(りりつこく)が出て16世紀後半に朱子学全盛期を迎え、学理上の論争も行われた。わが国には鎌倉時代に伝来し、禅僧によって研究され、やがて江戸初期、藤原惺窩(せいか)、林羅山(らざん)、山崎闇斎(あんさい)らが現れて隆盛に向かった。[大島 晃]
『『朱子学大系 第1巻 朱子学入門』(1974・明徳出版社) ▽島田虔次著『朱子学と陽明学』(岩波新書) ▽三浦国雄著『人類の知的遺産19 朱子』(1979・講談社)』

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世界大百科事典内の朱子学の言及

【王守仁】より

…弘治12年(1499)の進士。明朝教学体系の中枢を占めた朱子学の権威に疑問の投げかけられはじめた思想・社会状況のなかで,王守仁は思想形成をなし,独自に良知心学を樹立して,強烈な朱子学批判を行った。ために思想界は朱子学の呪縛から解放されて,彼の出現以後の思想界は百花斉放の観を呈した。…

【寛政異学の禁】より

…寛政改革の一つとして行われた江戸幕府の教学振興策。1790年(寛政2)5月,聖堂預り林大学頭信敬に塾内での教育は朱子学専一にすべき旨を達した。当時,徂徠学派,仁斎学派,折衷学派の流行に対して幕府の林家塾は不振の状態であり,朱子学擁護論が安永(1772‐81)ごろから出始め,松平定信の老中就任によって実現した。…

【儒教】より

…したがって郡県制帝国の王朝体制が克服される近代化の過程で,儒教は思想・文化上の打倒目標となり批判された。なお,儒教は過去の朝鮮,ベトナム,日本の文化形成に深刻な影響を与え,とくに朱子学はこれらの地域の諸政権とむすんで長期に正統教学の位置を占めた。通常,儒教の学術面を〈儒学〉と称し,教学的性格をその開祖の名をとって孔子教Confucianismともよばれる。…

【書院】より

…宋以後,士大夫階級の勃興とともに,教育研究に対する要求が強まり,官学に対する私立の学校として,個人の手で書院がつくられた。とくに南宋におこった朱子学は書院の盛行を促し,朱熹(子)の復興した白鹿洞書院をはじめ各地の書院で,朱子学の講義と研究が行われるようになった。さらに明代の陽明学では,人間は良知をもつものとして平等だと考えられたため,ときに庶民も参加して,書院における講義と自由活発な討論が行われた。…

【心学】より

…そのため禅心学は無の哲学をその中核に保有する。これに対抗して宋の程朱学(朱子学)は理学(性理学,道学)を主唱した。彼らは禅心学を,定準なき心に安易に依存し容易に私意妄行に陥り,これでは主体性を確立し人格的に自立することも不可能であり,経世済民の責任を担うこともできない,と激しく非難した。…

【仁斎学】より

…ここでは仁斎個人の思想として述べる。 総体的にいえば,仁斎学は朱子学の克服を目ざして形成された。まず朱子をはじめとする先行の注解を排除して直接《論語》《孟子》を熟読することが求められる。…

【徂徠学】より

…その内容は徂徠の主著《学則》《弁道》《弁名》《徂徠先生答問書》などに述べられる。徂徠以前にもっとも勢力のあった儒学思想は朱子学であって,徂徠もはじめは朱子学を学んだが,40代の中ごろ,1710年(宝永7)ころから朱子学に二つの点で疑問を抱くようになった。朱子学では,道徳の修養を積んで人格を完成させるのが人間のつとめであると教える。…

【中国思想】より

…この宋学は南宋の朱熹(子)によって大成された。 朱子学を構成する個々の要素は,すでに北宋の宋学で準備されたものが多く,朱子の独創と見るべきものは少ないが,これらを論理的に整合し,一つの完結した哲学体系としたのは朱子の力である。それは哲学,政治,歴史,科学を包括する壮大な学問体系であった。…

【中国哲学】より

…朱子は宋学の大成者であり,その学問は哲学であるとともに政治学,歴史学,倫理学,科学であるという性格をもち,総合的で包括性をもつ体系であった。このため朱子学の隆盛以後,仏教は衰退の一途をたどることになった。ただ朱子学は,その理性主義のゆえに,これにあきたらぬ反対学派を生み出す可能性がつねにあった。…

【やもめ】より

…寡婦の貧窮にして寄るべなき者は〈再嫁すべきや否や〉と問われて,〈寒餓の死を怕(おそ)れる〉からにせよ,〈餓死は事きわめて小なり,失節は事きわめて大なり〉とこたえた。この貞節観が南宋の朱熹(子)に継承され,朱子学の盛行するにつれて,再婚を失節とするモラルがしだいに広まり,寡婦の言動を外から規制するようになる。明代になると,貞操の固い寡婦を表彰するだけでなく,その家の租税を減免したりする。…

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