日本歴史地名大系 「天王宿村」の解説 天王宿村てんのうじゆくむら 群馬県:桐生市天王宿村[現在地名]桐生市相生町(あいおいちよう)三丁目渡良瀬川右岸の大間々(おおまま)扇状地上に位置。南は下新田(しもしんでん)村、西は蕪町(かぶつちよう)村に接し、渡良瀬川対岸は須永(すなが)村。もと須永村と一村であったが、寛永年間(一六二四―四四)以前に分村したと思われる(郡村誌)。草分百姓は須永村の藍原・今泉両氏であった(「新居旧記」新居文書)。寛文郷帳では高一八七石余で畑方のみ、館林藩領。元禄郷帳では幕府領。近世後期の御改革組合村高帳では高二二二石余、幕府領、家数六二。入会の秣場が下之原(したのはら)にあり、須永村と争論がたびたび起こった。岡登(おかのぼり)用水は廃渠となっていたが、安政二年(一八五五)下新田(しもしんでん)村と当村は再興願を出し、蕪町村を取水口として、文久二年(一八六二)完成した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by