日本歴史地名大系 「須永村」の解説 須永村すながむら 群馬県:桐生市須永村[現在地名]桐生市川内町(かわうちちよう)三丁目山田川が渡良瀬川に流れ込む河岸段丘上に位置。西は高津戸(たかつど)村(現山田郡大間々町)、北は下仁田山(しもにたやま)村、東対岸は西小倉(にしおぐら)村、南の渡良瀬川対岸は天王宿(てんのうじゆく)村。もと天王宿村と一村で、のちに渡良瀬川を境に分村したという(郡村誌)。須永御厨の遺称地。寛文郷帳では田方一三〇石余・畑方一六五石余、館林藩領。天和二年(一六八二)の分郷配当帳では高三二一石余、旗本稲葉領。近世後期の御改革組合村高帳でも同高、旗本野々山・近藤領など三給、家数四七。天王宿村と入会の秣場が下之原(したのはら)にあり、寛文年間(一六六一―七三)から争論が絶えなかったが、享保一七年(一七三二)に和解した(「秣場出入取替証文」山田郡誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by