県の東端に位置し、東は栃木県
「吾妻鏡」養和元年(一一八一)閏二月二五日条に足利氏の郎党として「桐生六郎」がみえ、桐生氏は当地方の武士とされる。「きり」は開墾地、「う」は峡谷の意で地形から地名が付けられたという説がある。市名は当地方の中心であった近世の
先土器時代の遺跡に桐生川上流の
園田御厨・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...