奈良原村(読み)ならはらむら

日本歴史地名大系 「奈良原村」の解説

奈良原村
ならはらむら

[現在地名]八代町奈良原

あさ川の上流域に位置する。竹居たけい村の東にあり、同村に通じる若彦わかひこ路が村中を通り鳥坂とりさか峠を越えて上芦川かみあしかわ(現芦川村)に至る。文安六年(一四四九)五月二六日の河村隼人・船越因幡守連署禁制(広済寺文書)に「奈良原広済庵」とみえる。天正一〇年(一五八二)四月日の織田信長禁制(同文書)には「楢原郷」とみえる。同年八月二七日には徳川家康によって当地と考えられる奈良原山口のうち一七貫文が初鹿野伝右衛門昌久に安堵され(「徳川家康判物写」記録御用所本古文書)、同一七年一〇月二一日には奈良原郷の弥二郎・助二郎宛で年貢諸役に関する規定も出された(「徳川家郷中掟書写」国立史料館蔵依田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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