竹居村(読み)たけいむら

日本歴史地名大系 「竹居村」の解説

竹居村
たけいむら

[現在地名]御坂町竹居、八代町竹居

竹井たけいとも記す。北は大野寺おおのじ村、西は高家こうか(現八代町)で、村中を縦貫する若彦わかひこ路を東上すると奈良原ならはら(現同上)鵜飼うかい(金川、現笛吹川)支流あさ川が南側を流下する。地名は若彦路を歩んだと伝える日本武尊の子稚武彦が居住したことに由来するともいう。枝郷に室部むろべ神有かみあり門林かどばやし(現八代町)がある。「塩山抜隊和尚語録」に「甲州路武井県」とみえ、当地の僧正円が夫人正山禅尼のため断日忌供養を行っている。永禄四年(一五六一)の番帳に一九番「竹井の禰き」は当地の熊野権現と考えられる。天正一〇年(一五八二)三月には竹井、足河あしかわ(現芦川村)惣郷という広きにわたり、織田信忠禁制(写、「巨摩郡古文書」若尾資料)が出された。六月二四日には織田氏に替わった徳川配下の大須賀康高によって、和田八郎左衛門・内藤七左衛門の「竹居」のうち夫丸を含めた鎮目分七〇貫文が安堵され(徳川家知行書立写「古文書」若尾資料)、一二月一二日には河野但馬守通重にも三貫文などが本給として安堵された(「徳川家印判状写」記録御用所本古文書)


竹居村
たけいむら

[現在地名]八代町竹居、御坂町みさかちよう竹居

高家こうか村の南東に位置し、同村からほぼ南下した若彦わかひこ路が南竹居を通り、南東の奈良原ならはら村に抜ける。あさ川が南側を流下し、「甲斐国志」に載る枝郷のうち門林かどばやしが当町域に含まれる。天正一一年(一五八三)閏正月一四日の徳川家康印判状写(記録御用所本古文書)に「甲州南竹居」とみえ、同所のうち三五貫文が日向伝次政成の本領のうちとして安堵されている。単立浄源じようげん寺・浄土真宗本願寺派祐泉ゆうせん寺、日蓮宗楞厳りようごん寺・教善きようぜん寺がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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