奥波見村
おくはみむら
[現在地名]宮津市字中波見・字奥波見
里波見に河口をもつ波見川の上流地域にある。
慶長検地郷村帳は三一三・二三石「奥波見村」とし、「奥波見村之内奥郷村」とあるが、元和八年(一六二二)の郷村帳以降は端郷奥郷村のことは記されていない。延宝九年(一六八一)の延高で五〇四石余となった(天和元年宮津領村高帳)。
享保二年(一七一七)青山幸侶宮津入部の時宮津藩領から切り離されて湊宮代官所支配(幕府領)に入り、宝暦九年(一七五九)本庄資昌宮津入部の時、奥波見村のうち梅ヶ枝以北新谷・奥郷を含めて高四〇七・一六三石はそのまま代官領にとどまり、波見川の下流方向の残り林崎・段の高九七・三四五石分は宮津藩領に戻った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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