宇智大野(読み)うちのおおの

日本歴史地名大系 「宇智大野」の解説

宇智大野
うちのおおの

「続日本紀」文武天皇二年二月条に「車駕幸宇智郡」、同書慶雲三年(七〇六)二月条に「車駕幸内野」、また天平神護元年(七六五)にも同様の記述があり、「万葉集」巻一には「天皇(孝徳)宇智の野に遊猟したまふ時、中皇命(間人皇后)の間人連老をして献らしめたまふ」長歌の反歌に「たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野」とみえ、宇智(内)野にしばしば行幸・遊猟の行われたことが推定される。

吉野川支流、宇智川上流の近内(ちかうち)村(現近内町)は「近つ宇智村」、下流の宇野(うの)村(現宇野町)は「大野村」の義かと思われ、郡北部が「近内」であるとすれば、その南部に古い宇智(遠つ宇智)があったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1 カキノキ科の落葉高木。また、その実。山地に自生するが、古くから栽培される。よく分枝し、葉は短楕円形で先がとがり、光沢がある。秋に紅葉する。初夏に白い雌花と雄花とが咲き、秋に黄赤色の実を結ぶ。実には...

柿の用語解説を読む