④について「古今‐一九」で「短歌」としたのは誤りとされているが、その事情は不明。
和歌の一体。「短歌」に対して、長い形式の歌という意で名づけられたとみられるが、呼称の成立は『万葉集』の段階であろう。儀礼の場とかかわり、いわば儀式歌として形づくられた歌の流れは、たとえば、舒明(じょめい)天皇の国見(くにみ)歌「大和(やまと)には 群山(むらやま)ありと とりよろふ 天(あめ)の香具山(かぐやま)……うまし国そ あきづ島 大和の国は」(『万葉集』巻1、2歌)などを生み出してくる基盤として認められるが、そうした儀式歌の流れを受けながら記載の次元での様式の一つが確立され「長歌」とよばれるようになったものである。万葉長歌の多くが、行幸(ぎょうこう)など公的な場でなされた晴の歌であるのも、そのような様式としての歴史的性格による。
和歌形式としての長歌を確立したといってよいのは柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)であろう。人麻呂の多様で多面的な長歌の制作は、その時代の文化の要求として、中国の詩に拮抗(きっこう)しうる自国の文芸をつくりだそうということに応じてなされたものであったが、和歌形式としての長歌の、短歌とは異なる可能性をそこに開示した。たとえば、高市皇子(たけちのみこ)の殯宮(あらきのみや)にあたっての挽歌(ばんか)「かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに恐(かしこ)き 明日香(あすか)の 真神(まかみ)の原に ひさかたの 天(あま)つ御門(みかど)を 恐(かしこ)くも 定(さだ)めたまひて 神(かむ)さぶと 岩隠(いはがく)ります やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の……」(巻2、199歌)は、149句という万葉長歌でも最長の作であるが、そのなかの壬申(じんしん)の乱の表現など歌による叙事も可能なことを示したのであった。五・七を繰り返して五・七・七で結ぶという定型をたてたのも人麻呂によるところが大きく、長歌のあとに短歌を添えるという反歌の様式を定着させたのも人麻呂に負うとみられる。このような人麻呂の達成とともに長歌は頂点を迎えた。以後、万葉長歌は山上憶良(やまのうえのおくら)、山部赤人(やまべのあかひと)らの独自な境地の作をも生むが、『万葉集』のあとは衰退した。のちの時代にも散発的な試みはあったが、歌体としての生命は『万葉集』で終わった。
[神野志隆光]
『清水克彦著『万葉論序説』(1960・青木書店)』▽『岡部政裕著『万葉長歌考説』(1970・風間書房)』
和歌の歌体の一つ。古くは〈ながうた〉とも呼ばれた。5・7/5・7/5・7と3回以上くり返し,最後を5・7・7で終わる形を基本形とし,原則的に短歌形式の反歌を1首または数首そのうしろに伴って1編を形成する。ただし,記紀歌謡,初期万葉など古い時代の長歌には反歌を伴わぬものがあり,また,終末部が5・7・7ではなく,5・3・7あるいは5・7・7・7となっているものもある。その発生と展開についてはまだ定説がないが,短歌が私的・日常的な場を発生の場としたと推測されるのに対して,長歌は公的・儀式的な場を発生の場としたであろうこと,さらには,長歌の形式的な完成の時期は,口誦から記載へと文学史が展開していった時期であろうと考えられている。具体的にいえば,《万葉集》第2期の歌人柿本人麻呂が長歌の完成に決定的な役割を果たしたと見られるのである。人麻呂には149句に及ぶ《万葉集》最長のそれを含めて20首ほどの長歌があるが,形式,構成,表現,すべての面において整備され,前代のものとは一線を画している。反歌をかならず添えるといった形式が定着を見,あるいは複数の反歌を伴う新形式がスタートしたのも,人麻呂長歌からと見ていい。律令時代に入って公的・儀式的な場が新しい様相を整え,一方,いよいよ記載文学の時代に入りつつあった,そういう時代に中国文学に強い人麻呂という才能が登場して,長歌を一挙に完成させたのであった。人麻呂以後,《万葉集》には笠金村,山部赤人,山上憶良,高橋虫麻呂,大伴家持らの長歌があるが,ついに人麻呂を凌駕する長歌作者は現れなかった。その後,長歌は衰退する。《万葉集》には280余首あった長歌が《古今集》ではわずか5首になっている。江戸期および明治20年代に長歌復興の気運が興り,実際に作られもしたが文学運動として実りあるものにはならなかった。また,昭和に入ってからも窪田空穂(うつぼ)のように長歌を何首も作っている歌人はいるが,短歌や俳句のようなポピュラーなジャンルとはなり得ていない。
執筆者:佐佐木 幸綱
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和歌の歌体の一つ。短歌に対する語。五七句をくり返し,五七七句で終止する形式で,ふつう7句以上からなるが句数に制限はない。多くの場合短歌形式の反歌をともなうが,初期万葉のものには短・長句の音数や終止形式が十分整わず,反歌をもたないものもある。長歌形式の完成は柿本人麻呂の功績によるところが大きい。人麻呂の長歌は長大で,枕詞(まくらことば)・序詞(じょことば)・対句などを駆使し,漢詩文の影響を構想や表現に生かしており,それまでの長歌を飛躍的に発展させた。人麻呂を頂点としてその後,笠金村(かさのかなむら)・山部赤人・山上憶良・高橋虫麻呂らに特色ある作品がみられるが,しだいに衰え,文学的価値は低下した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…四句形式のものは,七五調を標準とする狭義の今様,仏教歌謡である和讃の影響を受けた法文(ほうもん)歌,これら二つの影響が認められる四句神歌(しくのかみうた)。二句形式のものは,和歌の朗詠と密接な関係にある短歌形式の長歌(ながうた),神楽歌の流れをくむとみられる二句神歌。さらに不整形の古柳(こやなぎ)である。…
…5・7/5・7/5・7と3回以上くり返し,最後を5・7・7で終わる形を基本形とし,原則的に短歌形式の反歌を1首または数首そのうしろに伴って1編を形成する。ただし,記紀歌謡,初期万葉など古い時代の長歌には反歌を伴わぬものがあり,また,終末部が5・7・7ではなく,5・3・7あるいは5・7・7・7となっているものもある。その発生と展開についてはまだ定説がないが,短歌が私的・日常的な場を発生の場としたと推測されるのに対して,長歌は公的・儀式的な場を発生の場としたであろうこと,さらには,長歌の形式的な完成の時期は,口誦から記載へと文学史が展開していった時期であろうと考えられている。…
…朝鮮の伝統的な歌謡形式の一つ。歌詞Kasa(朝鮮語では歌辞も同音)とも書き,長歌ともいう。郷歌における第1・第2句,6・6(3・3,3・3)を作者の好みによってほとんど無制限に延ばして歌い(句は3・4,4・4などにもなりえる),終末に至っては郷歌の第3句,3・5~9・6を添尾して完結させる歌形である。…
…また,〈和歌〉あるいは,ただ単に〈うた〉と呼ばれることもある。短歌は,長歌,旋頭歌(せどうか)などとともに和歌の歌体の一つであったが,他が時代とともにすたれていったのに対して,短歌だけが持続的に支持を得てきた。そこで〈和歌〉といえば短歌をさすことになり,〈うた〉とだけいっても歌の代表である短歌をさすことになったようである。…
※「長歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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