日本歴史地名大系 「安土呂井村」の解説 安土呂井村あとろいむら 岩手県:水沢市安土呂井村[現在地名]水沢市花園町(はなぞのちよう)一―二丁目・神明町(しんめいちよう)一―二丁目・三本木(さんぼんぎ)・佐倉河(さくらがわ) 常盤(ときわ)那須川(なすがわ)村の南、北上川右岸に位置し、安土呂井河岸がある。明治以後は跡呂井と書く。「続日本紀」延暦八年(七八九)六月三日条に征東将軍紀古佐美の報告として、「征東」軍は川を渡って「賊師夷阿弖流為」の居を攻めたが、「巣伏村」で大敗したとある。当地名はこの阿弖流為(アテルイ)に何らかの関連があるといわれている。当地の館主岩淵基胤は、永正三年(一五〇六)葛西家臣として安土呂井郷などの三八〇貫を給されている(「岩淵氏系図」三宅文書)。正保郷帳によれば田方一二九貫二七五文・畑方一五貫二六一文、ほかに新田高五六二文。「安永風土記」では田一二九貫九一五文・畑一五貫二六五文(うち茶畑二五三文)で、うち蔵入三貫九二一文・給所一四一貫二五九文。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by