岩淵(読み)いわぶち

日本歴史地名大系 「岩淵」の解説

岩淵
いわぶち

連歌屋れんがや二丁目付近に比定される。大永三年(一五二三)三月一〇日付の杉興長書状(上座坊文書/大宰府・太宰府天満宮史料一四)に「太宰府 天満宮領岩淵内秣田壱町弐段地」とみえ、同地が不知行であるとした太宰府天満宮の社家上座坊の訴えを守護大内氏に取次いでいる。いっぽう寛喜元年(一二二九)五月二三日付の信宗所領注進状案(太宰府天満宮文書/鎌倉遺文六)と正和二年(一三一三)二月日付の信朝所領等注進状(同文書/鎌倉遺文三二)に「石淵辻地」がみえ、安楽寺(太宰府天満宮)の修理少別当信宗―少別当兼検校信朝と伝領されたが、この「石淵辻地」が御笠みかさ郡内の岩淵と同一地であるかは未詳

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百科事典マイペディア 「岩淵」の意味・わかりやすい解説

岩淵【いわぶち】

現在の東京都区の北部,荒川・隅田川(古くは入間川とも)の右岸低地一帯をさす地名。かつては武蔵国豊島郡のうち。現在の岩淵町が遺称地。鎌倉時代の《問はず語り》に〈岩淵の宿といひて,遊女どものすみかあり〉と記される。室町時代には鎌倉大倉稲荷社修理のため〈岩淵郷橋賃〉が,また同社造営料として〈岩淵関所〉が寄進されており,古くから荒川の渡河点に位置する交通の要衝で,宿なども成立。江戸時代には日光御成道の荒川渡船場で,対岸の川口宿と合宿の岩淵宿として伝馬役を負担。岩淵宿は江戸日本橋から3里15町,次宿の鳩ヶ谷(はとがや)宿まで1里15町。宿建人馬は25人・25匹。1843年には旅籠屋3軒,本陣・脇本陣各1。加宿の袋村(現北区赤羽北・赤羽台など)・下村(現北区志茂など)を合わせた宿内総家数229・人数1251(《宿村大概帳》)。明治維新後は初め岩淵本宿村,1875年からは岩淵本宿町。1889年の市制・町村制施行により周辺諸村と合併して東京府北豊島郡岩淵町が成立。

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改訂新版 世界大百科事典 「岩淵」の意味・わかりやすい解説

岩淵 (いわぶち)

武蔵国の地名。現在の東京都北区岩淵町。東京都の北端に位置し,荒川をはさんで埼玉県川口市と対している。鎌倉後期の女流文学の一つ《とはずがたり》のなかに,〈岩淵の宿といひて遊女どものすみかあり〉と記されているのが史料上の初見。また室町時代の1416年(応永23)には岩淵郷の橋賃が,ついで29年(永享1)には岩淵の関銭がいずれも鎌倉の大蔵稲荷社に寄進されており,奥州方面への交通の要衝であるここに関所が設けられていたことが知られる。戦国時代には小田原北条氏の家臣太田康資の所領となっていた。江戸時代には荒川渡船場の宿駅として,対岸の足立郡川口宿と半月交代で人馬継立てにあたっていた。1872年(明治5)東京府に編入された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩淵」の意味・わかりやすい解説

岩淵(東京都)
いわぶち

東京都北区北端の一地区。旧北豊島(きたとしま)郡岩淵町。1932年(昭和7)王子区を経て、1947年北区となる。荒川を隔てて川口市に相対する。江戸時代、岩槻(いわつき)街道の第一の宿場。岩槻街道は徳川将軍が日光参拝のおり、かならず通ったので御成道(おなりみち)(日光御成街道、現在の国道122号にほぼ相当)とよばれ、本陣、問屋場があったが、遊里の発達は阻止されていた。川口との間は渡船だが、将軍の日光社参のときだけ橋を架けた。新旧の岩淵水門がある。赤羽地区の北に接し、東京地下鉄南北線の赤羽岩淵駅(1991年開業)がある。

[菊池万雄]



岩淵(静岡県)
いわぶち

静岡県富士市の一地区。富士川の西岸に位置する。江戸時代、東海道富士川の渡渉(としょう)の要地。江戸から37里目にあたる一里塚があり、県指定文化財となっている。甲州鰍沢(かじかざわ)との舟運で発展。幕府直轄地。かつては庵原(いはら)郡富士川町役場の所在地で、住宅地化している。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩淵」の意味・わかりやすい解説

岩淵
いわぶち

静岡県中部,富士市南西部の集落。富士川の下流右岸に位置し,江戸時代は駿河と甲斐を結ぶ富士川舟運の中継的な河港として栄えた。明治以降,鉄道の発達で富士川舟運および岩淵-蒲原間の富士川運河利用が急激に失われた。製紙,合板などの工場があり,岳南工業地域の一翼を形成している。

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世界大百科事典(旧版)内の岩淵の言及

【川口[市]】より

…初出は《義経記》で,小川口の名がみえる。伝馬の継立ては荒川の対岸岩淵宿と合宿で半月あての交代勤めであり,将軍日光社参時は川幅60間の荒川に舟橋が架せられたが,出水のときは600間の川幅になったという。江戸時代を通じて幕府領,1843年(天保14)調べの《宿村大概帳》では戸数295戸,人口1406人,旅籠屋は本陣を含め12軒を数えた。…

※「岩淵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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