日本歴史地名大系 「岩淵」の解説
岩淵
いわぶち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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武蔵国の地名。現在の東京都北区岩淵町。東京都の北端に位置し,荒川をはさんで埼玉県川口市と対している。鎌倉後期の女流文学の一つ《とはずがたり》のなかに,〈岩淵の宿といひて遊女どものすみかあり〉と記されているのが史料上の初見。また室町時代の1416年(応永23)には岩淵郷の橋賃が,ついで29年(永享1)には岩淵の関銭がいずれも鎌倉の大蔵稲荷社に寄進されており,奥州方面への交通の要衝であるここに関所が設けられていたことが知られる。戦国時代には小田原北条氏の家臣太田康資の所領となっていた。江戸時代には荒川渡船場の宿駅として,対岸の足立郡川口宿と半月交代で人馬継立てにあたっていた。1872年(明治5)東京府に編入された。
執筆者:田代 脩
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東京都北区北端の一地区。旧北豊島(きたとしま)郡岩淵町。1932年(昭和7)王子区を経て、1947年北区となる。荒川を隔てて川口市に相対する。江戸時代、岩槻(いわつき)街道の第一の宿場。岩槻街道は徳川将軍が日光参拝のおり、かならず通ったので御成道(おなりみち)(日光御成街道、現在の国道122号にほぼ相当)とよばれ、本陣、問屋場があったが、遊里の発達は阻止されていた。川口との間は渡船だが、将軍の日光社参のときだけ橋を架けた。新旧の岩淵水門がある。赤羽地区の北に接し、東京地下鉄南北線の赤羽岩淵駅(1991年開業)がある。
[菊池万雄]
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…初出は《義経記》で,小川口の名がみえる。伝馬の継立ては荒川の対岸岩淵宿と合宿で半月あての交代勤めであり,将軍日光社参時は川幅60間の荒川に舟橋が架せられたが,出水のときは600間の川幅になったという。江戸時代を通じて幕府領,1843年(天保14)調べの《宿村大概帳》では戸数295戸,人口1406人,旅籠屋は本陣を含め12軒を数えた。…
※「岩淵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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