安土呂井河岸
あとろいかし
安土呂井村の北上川河畔にあった河湊。所在地の字名を桜ノ目というのは河湊の目印として桜樹が植えられていたことによる。中世には四牛・瀬台野の河岸とともに胆沢開拓の重要な河湊として機能したと推定されるが、具体的な様子はわかっていない。享保三年(一七一八)御蔵が瀬台野河岸から当河岸に移されたことから規模が大きくなり(三宅文書)、水沢の中心河湊となった。
「安土呂井村安永風土記」に御蔵場二ヵ所とあり、「北上川端御本穀所四棟 鍛冶屋敷雑穀御蔵壱棟」と記される。明治初年には五棟の御蔵があり、三棟は東西に雁行し、二棟はこれを挟んで南北に並行して建っていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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