安達東根(読み)あだちひがしね

日本歴史地名大系 「安達東根」の解説

安達東根
あだちひがしね

安達東方ともよばれ、阿武隈川東岸一帯をさす呼称。文和元年(一三五二)一二月一七日の足利尊氏袖判下文(熱海白川文書)に「安達東根」とみえ、当地等の替りとして田村庄闕所などが結城顕朝に与えられており、これ以前結城氏の所領であった。これより先、延元年間(一三三六―四〇)と思われる四月一二日付の沙弥宗心書状(有造館本結城古文書写)によれば、北畠顕家が上洛した時、三春みはる(現三春町)の輩は供をすると偽り、安達東方を掠め取ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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