三春(読み)さんしゅん

精選版 日本国語大辞典 「三春」の意味・読み・例文・類語

さん‐しゅん【三春】

〘名〙
① 春の三か月。陰暦孟春正月)、仲春二月)、季春三月)をいう。《季・春》
懐風藻(751)元日〈藤原史〉「鮮雲秀五彩、麗景耀三春
東関紀行(1242頃)前島より興津「むかし、叔斉首陽の雲に入りて、猶三春の蕨をとり」 〔晉書‐摯虞伝〕
三度の春を経ること。三か年。
平家(13C前)二「昔は巖崛(がんくつ)の洞にこめられて、三春の愁歎ををくり」

み‐はる【三春】

〘名〙 春の三か月。陰暦の初春一月)・仲春(二月)・晩春(三月)をいう。さんしゅん。
※俳諧・桜川(1674)夏二「三春過着ゐや岩城のちぢみ布〈親盛〉」

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デジタル大辞泉 「三春」の意味・読み・例文・類語

さん‐しゅん【三春】

春季の3か月。初春・仲春・晩春。陰暦の1・2・3月 春》
三度、春を過ごすこと。3か年。→三秋
[類語]早春春先初春孟春陽春浅春仲春晩春暮春

みはる【三春】[地名]

福島県中東部、田村郡の地名。阿武隈あぶくま高地西麓に位置する。もと秋田氏の城下町で、馬を産し、養蚕・タバコ栽培が盛んであった。

み‐はる【三春】

春の3か月。陰暦の1月・2月・3月。さんしゅん。

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改訂新版 世界大百科事典 「三春」の意味・わかりやすい解説

三春[町] (みはる)

福島県東部,田村郡の町。人口1万8191(2010)。中通り地方のほぼ中央,阿武隈高地西麓に位置する。JR磐越東線,国道288号線が通じ,磐越自動車道のインターチェンジがある。浸食がすすんだ標高300~500mのなだらかな丘陵と谷が複雑に入り組む老年期の山地からなり,平地は少なく,緩斜面に段畑や棚田が開ける。中心の三春は近世に秋田氏の城下町として栄え,明治以降も郡役所が置かれるなど田村郡の中心地であった。古くから葉タバコ栽培や養蚕が盛んであったが,第2次大戦後は隣接する郡山市の発展が著しく,その経済圏に組み込まれ,住宅地化も進んでいる。特産の馬は三春駒の名で知られ,張子の三春人形などの郷土玩具を産する。大志多山上にある三春城跡は桜の名所で城山公園となっており,町内各所に古い城下町のたたずまいが残る。福聚寺は田村氏の墓所で画僧雪村の寄寓地であった。97年,三春ダム急成。ダム近くにある〈三春滝桜〉は国指定天然記念物。
執筆者:

陸奥国の城下町。《有造館結城文書》の〈沙弥宗心(北畠親房)書状〉に,〈御春(三春)〉の語があり,また春に梅,桃,桜の花が一度に咲くことから三春と呼ばれたと伝えられている。1504年(永正1)田村義彰が大志多山に本城を築き,城下を形成した。以後,伊達政宗,蒲生氏郷らが支配した。1627年(寛永4)から加藤明利,松下長綱が領した。45年(正保2)秋田俊季が5万5000石で入部し,以後明治維新まで11代220余年,秋田氏の城下町であった。村高は〈文禄高目録〉では1366石余。1746年(延享3)には,家中屋敷140軒余,家中給人140人余,無足人100人余,町屋敷390軒,店借167軒,門前108軒,人数2157人,寺27。町割りは須賀川街道沿いに大町,中町,八幡町,北西方の小浜街道沿いに荒町,北方の相馬街道沿いに北町,南方の岩城街道沿いに新町が置かれた。町役人は1678年(延宝6)以降,検断3,町年寄7(その嫡子とも),各町ごとに小肝煎1,長町人1が置かれた。戊辰戦争では,三春藩がいち早く官軍に恭順の意を表し無血開城したこともあって,城下は戦火を免れた。
執筆者:

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普及版 字通 「三春」の読み・字形・画数・意味

【三春】さんしゆん

春三ケ月。

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