宰判(読み)さいばん

防府市歴史用語集 「宰判」の解説

宰判

 江戸時代萩藩の行政区分で、4つの支藩[しはん]を除く、萩藩を細かく分けたものです。全部で18の宰判がありました。それぞれ代官[だいかん]という役人が宰判の中を治めていました。また、宰判の中に置かれた役所勘場[かんば]と言います。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報

世界大百科事典(旧版)内の宰判の言及

【大庄屋】より

…農民身分としては最高の地位。領主は,領内を組,手永(てなが),宰判(さいばん)などに大区分し,それごとに大庄屋を置くことが多かった。ただし幕領では,1713年(正徳3)諸国代官への通達(全13条)の11条において,大庄屋,割元,惣代などを廃止した。…

【周防国】より

…毛利就隆は,はじめ居館を都濃郡下松に設けたが,50年(慶安3)に同郡野上に移し,地名を徳山と改めた(徳山藩)。長州藩は郷村支配の行政単位として〈宰判〉を設け,周防国では大島,奥山代,前山代,上関,熊毛,都濃,三田尻,徳地,山口,小郡の10宰判を置いた。 両山代,徳地宰判は楮(こうぞ)の産地であり,多量の和紙を製造した。…

【長門国】より

…53年(承応2)長府藩主綱元は秀元の子元知へ豊浦郡のうち14ヵ村,高1万石を与え,清末藩を興させた。長州藩は郷村支配の行政単位として宰判を設け,長門国では奥阿武,当島,浜崎,美祢,船木,吉田,前大津,先大津の8宰判を置いた。 長門国の北浦では漁業が盛んであったが,中でも鯨漁は漁村に大きな活力を与えた。…

※「宰判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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