百科事典マイペディア 「萩藩」の意味・わかりやすい解説
萩藩【はぎはん】
→関連項目イギリス公使館焼打事件|恵美須ヶ鼻造船所跡|大板山たたら製鉄遺跡|周防国|長門国|萩反射炉|萩藩閥閲録|防長風土注進案|明倫館|山県有朋
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長州藩とも。長門国萩(現,山口県萩市)を城地とする外様大藩。周防・長門2カ国を領有。豊臣政権の五大老の1人として中国地方で約112万石を領した毛利輝元(てるもと)は,関ケ原の戦で西軍に加わり周防・長門2カ国に減封。同年家督を長男秀就(ひでなり)に譲る。1604年(慶長9)本拠地として萩に築城。以後14代にわたる。表高は36万9411石だが,幕初の検地では53万9286石。2度の領内検地と直轄領の拡大,行政・支配組織の整備(宰判(さいばん)の設置),諸法令を集大成した「万治制法」の制定などにより,17世紀後半頃までに藩政が確立。幕初における大幅な領地削減は慢性的な財政難をもたらしたが,宝暦年間に検地を実施して約4万石を打ち出し,これを財源として撫育方を設置して藩政改革を実施。塩田や新田の開発,産業の育成などをはかった。1831年(天保2)専売制の強化に対して大規模な一揆(防長一揆)がおこり,これを機に村田清風(きよかぜ)らを登用して再び藩政改革に着手。幕末には尊王攘夷運動を主導し,鹿児島藩とともに明治維新の原動力となる。63年(文久3)山口へ拠点を移し,山口藩と改称。特産に紙・櫨・塩・菜種・藍などがあるが,早くから藩の統制下におかれたものも多かった。詰席は大広間。藩校明倫館。松平姓を許されていた。支藩に長府・徳山・清末(きよすえ)の3藩があり,幕末には岩国藩も加わる。廃藩後は山口県となる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸時代,周防国,長門国(ともに山口県)を藩領とした外様藩。萩藩,毛利藩,山口藩などともいう。表高は36万9411石余だが,明治初年の実高は98万8000石余とされる。…
※「萩藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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