小倉洞(読み)おぐらぼら

日本歴史地名大系 「小倉洞」の解説

小倉洞
おぐらぼら

[現在地名]美山町片原かたはら

神崎かんざき川中流東にあり、椿つばき村・片狩かたかり村・谷合たにあい村などに囲まれた小山村。現在は「こくら」と発音する。元来は神崎村の枝郷で、元文五年(一七四〇)の神崎村明細帳(多田文書)によれば「当村枝郷え之道法ハ(中略)小倉ヘ弐リ」とあり、鉄砲運上金一分、永二〇〇文のうち「永弐拾五文 鹿威壱挺 小倉洞より」、山年貢米七石中、小倉洞出分は米九斗九升余、紙舟役金一分、永八五文中、小倉洞出分は永八一文余とある。文化七年(一八一〇)の神崎村四組明細帳によると、承応三年(一六五四)検地の折、神崎村全体の高一八四石余のうち小倉洞は二〇石余とされ、承応頃にはすでに半ば独立していた。江戸時代を通じて幕府領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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