小墾田采女(読み)おはりだのうねめ

朝日日本歴史人物事典 「小墾田采女」の解説

小墾田采女

日本書紀』にみえる伝承上の采女。大和小墾田地方(奈良県明日香村)出身の豪族女性か。允恭天皇の5年7月,玉田宿禰反逆の疑いがあり呼んだところ,宿禰の衣から甲の端が見えたので,天皇は様子を知るために采女に命じて宿禰に酒を注がせた。采女は衣の中に鎧を着込んでいることをはっきりと見てとって報告し,宿禰は捕らえられ殺されたという。小墾田は,屯倉,宮,兵庫などが置かれた飛鳥地方の要地であった。玉田宿禰は葛城本拠とする伝統的大豪族だったが,采女はひるむことなく堂々と命令を果たした。単なる人質や性的奴隷ではなく,天皇の身辺で重要な職務を担っていた古い時代の采女たちの姿が,彷彿とする。

(義江明子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小墾田采女」の解説

小墾田采女 おはりだの-うねめ

「日本書紀」にみえる女官
允恭(いんぎょう)天皇につかえる。允恭天皇5年反正(はんぜい)天皇の殯宮(もがりのみや)でのつとめをおこたった葛城(かずらきの)玉田を天皇が召喚した際,天皇の命令で,玉田が衣服の下に鎧(よろい)をつけているのを確認し報告した。

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