葛城(読み)かつらぎ

精選版 日本国語大辞典 「葛城」の意味・読み・例文・類語

かつらぎ【葛城】

[1] (古くは「かづらき」)
[一] 奈良県西部、金剛山の東斜面一帯の地域。「日本書紀」によれば、神武天皇が平定した赤銅八十梟師(あかがねのやそたける)の住んでいた所。高尾張邑(たかおはりのむら)。現在は御所(ごぜ)、葛城、香芝(かしば)などの市が成立。
※万葉(8C後)二・一六五・題詞「移葬大津皇子屍於葛城二上山之時」
[二] (葛城) 奈良県西部の地名。近鉄南大阪線・御所線とJR和歌山線が通じ、当麻寺がある。平成一六年(二〇〇四)市制。
[2] 〘名〙 綿織物一種。厚地の綾織り綿布。生地で輸出するときは太綾といわれ、葛城の名称は国内で使う。服地、白衣用。岡山県が主産地葛城織

かずらき かづらき【葛城】

[二] 謡曲。三・四番目物。各流。作者不詳。古名「雪葛城」。大和国葛城山で、岩橋をかけるのを怠ったため、不動明王のなわに縛られて苦しんでいる葛城の神を山伏が救う。

かつらぎ【葛城】

(古くは「かづらき」) 姓氏一つ

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デジタル大辞泉 「葛城」の意味・読み・例文・類語

かつらぎ【葛城】

奈良県西部の市。西部山間部での林業のほか、トマト・きゅうりなど野菜類や、菊・チューリップなど花卉かき栽培が盛ん。平成16年(2004)新庄町當麻たいま町が合併して成立。人口3.6万(2010)。
《古くは「かづらき」》奈良県中西部、葛城山東麓一帯の呼称。現在の葛城市御所ごせ市を中心とする地域。
かずらき
[補説]書名別項。→かつらぎ

かずらき【葛城】[謡曲]

謡曲。三番目四番目物世阿弥作。大和の葛城かずらきで、岩橋を架けなかったために不動明王なわに縛られて苦しんでいる葛城の神の説話を扱う。

かずらき〔かづらき〕【葛城】

地名の「かつらぎ(葛城)」のこと。
[補説]曲名別項。→葛城

かつらぎ[書名]

日本の俳誌。昭和4年(1929)、阿波野青畝が奈良で創刊。同人に森田峠、加藤三七子など。

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改訂新版 世界大百科事典 「葛城」の意味・わかりやすい解説

葛城[市] (かつらぎ)

奈良県北西部の市。2004年10月新庄(しんじょう)町と当麻(たいま)町とが合体し成立した。人口3万5859(2010)。

葛城市南部の旧町。旧北葛城郡所属。人口1万9454(2000)。金剛山地東斜面の複合扇状地からなり,溜池が多い。中心は近世に定府大名永井氏の陣屋が置かれた新庄で,今も陣屋町の町割が残る。工業が盛んで,伝統的な家庭配置薬の工場やプラスチック加工,メリヤス,封筒などを製造する工場がある。JR和歌山線,近鉄御所(ごせ)線が通り,大和高田市,大阪方面への通勤者も多い。農業は稲作中心だが,野菜や花卉栽培も行われる。遺跡や文化財が多く,古墳時代中期の築造とされる前方後円墳の屋敷山古墳(史)があり,博西神社本殿,置恩寺の十一面観音立像などは重要文化財に指定されている。

葛城市北部の旧町。旧北葛城郡所属。1966年町制。人口1万5496(2000)。奈良盆地南西部に位置し,二上(にじよう)山の東麓を占める。古代から竹内(たけのうち)街道の要地であり,当麻寺門前町として発展した。主産業は靴下などの製造業で,プラスチック製品や綿布などもつくられる。農業では菊の栽培が盛んで,山間地の露地栽培が中心であるが,近年は平地でも栽培されるようになり,温室栽培も始まった。《当麻曼荼羅》など多くの国宝,重要文化財をもつ当麻寺は染野の石光寺とともにボタンの名所としても知られる。近鉄南大阪線,国道166号線が通じる。
執筆者:

葛城 (かつらぎ)

古代の大和の地名。金剛山地の東麓,南から北に貫流する葛城川にはさまれた御所市,大和高田市,葛城市,北葛城郡にわたる地域の総称で,大和朝廷の歴史に一貫してあらわれる重要な地名である。綏靖(すいぜい)天皇の葛城高丘宮,安寧天皇の片塩浮孔宮,考昭天皇の掖上(わきがみ)池心宮,孝安天皇の室秋津嶋宮,いずれも伝承上の天皇の宮が葛城の地に選ばれた事例である。二つの氏族が葛城の地名を氏の名とした。葛城直は《日本書紀》神武2年条に葛城国造に任ぜられた劒根の裔で,《氏姓録》に高魂命5世孫とする神別の氏である。一方,葛城臣は孝元天皇の曾孫武内宿禰(たけうちのすくね)の子葛城襲津彦(そつひこ)を祖とする臣姓の氏である。襲津彦は同世代の応神天皇とともに実在性が高いと考えられている。襲津彦の女磐之媛(いわのひめ)は仁徳天皇の皇后として,履中,反正,允恭の3天皇を生み,葛城部を定められたとある。孫の葦田宿禰の女黒媛も履中天皇の妃となったと伝えられ,葛城臣が5世紀代の大王家,とくに履中系の外戚として重きをなしていたとみられる。襲津彦の孫(子ともいう)の玉田宿禰の子円(つぶら)が,安康天皇を殺害した眉輪(まよわ)王をかばったため,大泊瀬皇子(雄略天皇)によって焼き殺されたというのは,皇位をめぐる履中系と允恭系の争いの中で,葛城臣が没落したことを示す伝承である。《日本書紀》顕宗即位前紀によれば清寧天皇没後,履中天皇皇女(市辺押羽皇子の子ともいう)の飯豊青皇女が忍海角刺宮(おしうみつぬさしのみや)に臨朝秉政(へいせい)したという。葛城臣の没落後,葛城地方の豪族として残った葛城直が,葛城県を管掌していたと思われるが,新たに大王家の外戚となった蘇我氏の馬子が624年(推古32)に葛城県を本居として請うているが直轄領のため許されなかった。葛城県の名は,大化1年(645)8月詔に倭六県(やまとのむつのあがた)の一つとしてみえる。大化改新以後,葛城の地は,葛上(かつらぎのかみ)郡,葛下(かつらぎのしも)郡,忍海郡などに分割された。
執筆者:

葛城 (かずらき)

能の曲名。四番目物。作者不明。シテは葛城明神の神霊。旅の山伏(ワキ)が大和の葛城山に入ると雪になった。そこへ柴を携えた女(前ジテ)がやってきて,山伏をわが家に連れて帰る。女は暖かく火を焚いてもてなし(〈クセ〉),祈禱をしてもらいたいと頼む。訳を尋ねると,自分は役行者(えんのぎようじや)の岩橋を架けよという命令に背いたために,蔦葛(つたかずら)で縛られて苦しみ続けている身だと告げて消え去る。女は葛城明神の仮の姿だったのである。夜に入って山伏が祈禱をすると,神霊(後ジテ)が現れて祈禱を喜び,大和舞(やまとまい)を舞ってみせ(〈序ノ舞〉),夜が明けて醜い顔かたちがあらわにならぬ先にと言って,岩戸の中に消えていく(〈ノリ地〉)。序ノ舞を神楽(かぐら)に変える変形の演出があり,そのときは〈大和舞〉〈神楽〉などの小書(こがき)が番組に書かれる。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「葛城」の解説

葛城
かずらき

「かつらぎ」とも。葛木とも。奈良県西部の古代以来の地名。奈良盆地の西端で,金剛山地・葛城山脈東麓にあたる。古くは葛城県(あがた)がおかれ,律令制下では葛上(かずらきのかみ)郡・葛下郡・忍海(おしのみ)郡にわかれた。この地を本拠とする葛城氏が大きな勢力をもっており,推古天皇のとき蘇我馬子(うまこ)は,葛城県を自分の本居として封県とすることを望んだが,天皇に拒否された。式内社に葛城一言主(ひとことぬし)神社・葛木水分(みくまり)神社(以上葛上郡。現,御所市),葛木倭文坐天羽雷命(しどりにいますあめのはずちのみこと)神社・葛木御県(みあがた)神社(以上葛下郡。現,葛城市)などがある。

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デジタル大辞泉プラス 「葛城」の解説

葛城

大日本帝国海軍の航空母艦。雲龍型空母。1944年10月竣工。1945年の呉大空襲により損傷。戦後、復員船として利用された後、解体(1947年)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「葛城」の意味・わかりやすい解説

葛城
かつらぎ

雲竜型航空母艦」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の葛城の言及

【不破伴左衛門】より

…歌舞伎《鞘当(さやあて)》の主人公として登場する人物。その最初は江戸の土佐浄瑠璃《名古屋山三郎》(延宝ごろ上演)で,不破伴左衛門は名古屋山三郎の友人として登場し,遊女葛城(かつらぎ)を争って山三郎の父を殺害し,親の敵として山三郎に討たれる。これと同じような内容の歌舞伎《遊女論》が江戸の市村座で上演され(延宝8年初演といわれるが座組からは貞享年間か),初世市川団十郎の不破,村山四郎次の山三郎,伊藤小平太の傾城葛城で評判となり,不破名古屋の歌舞伎が流行するようになった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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