精選版 日本国語大辞典 「小宮山綏介」の意味・読み・例文・類語 こみやま‐やすすけ【小宮山綏介】 幕末・明治の漢学者。楓軒(ふうけん)の孫。名は昌玄。号南梁(なんりょう)。水戸の人。父および潤野秋斎に儒学を学ぶ。藩校弘道館の助教となり、「国史志表」を編修。維新後、修史局に入り、のち「古事類苑」の編纂事業に従う。著に「徳川太平記」「東京城建置考」など。文政一二~明治二九年(一八二九‐九六) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「小宮山綏介」の解説 小宮山綏介 没年:明治29.12.24(1896) 生年:文政12(1829) 明治時代前半期の漢学者。水戸の人。名は昌玄,字は伯亀,号は南梁,綏介は通称。家は代々水戸藩の学者で,小宮山昌秀の孫に当たる。安政5(1858)年家督200石を継いで小普請組。文久3(1863)年いったん致仕したが,元治1(1864)年馬廻組で郡奉行見習。慶応1(1865)年大番組で藩校弘道館助教,さらに郡奉行となったが,明治1(1868)年藩内の党争に座して幽閉された。のち東京府の地理志編纂の総修となり,21年に退職。23年から皇典研究所の『古事類苑』編纂の校閲委員となり,副編修も務めた。著書には『徳川太平記』『南梁年録』などがある。 (鈴木暎一) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小宮山綏介」の解説 小宮山綏介 こみやま-やすすけ ⇒小宮山南梁(こみやま-なんりょう) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by