水戸(読み)もいとりべ

精選版 日本国語大辞典 「水戸」の意味・読み・例文・類語

もいとり‐べ もひとり‥【水戸】

〘名〙 令制で、主水司(もいとりのつかさ)に付属した戸。品部(しなべ)を出す。調・雑徭を免じられて主水司の労役に服す。一四四戸あり、九月から二月までは成年男子すべてが勤務し、三月から八月までは順番で三〇人ずつ勤務した。〔令義解(718)〕

みと【水戸】

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デジタル大辞泉 「水戸」の意味・読み・例文・類語

みと【水戸】

茨城県中部の市。県庁所在地那珂なか下流にあり、中世は佐竹氏の、江戸時代は徳川御三家の一つ水戸家の城下町偕楽園弘道館などの史跡がある。人口26.9万(2010)。水府。

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改訂新版 世界大百科事典 「水戸」の意味・わかりやすい解説

水戸[市] (みと)

茨城県中央部にある市で,県庁所在都市。2005年2月旧水戸市が内原(うちはら)村を編入して成立した。人口26万8750(2010)。

水戸市南西部の旧町。旧東茨城郡所属。1965年町制。人口1万4823(2000)。第2次世界大戦前に満蒙開拓青少年義勇軍の内原訓練所や満蒙開拓鉱工幹部訓練所が置かれ,満蒙開拓のメッカとして知られた。戦後も農林水産省農林水産研修所農業技術研修館,国際農業研修センター(筑波国際農業研修センターの前身)や鯉淵学園など農業関連の研修機関が多い。南部の台地には栗の樹園地がみられる。また北限といわれるカタクリの集団自生地もある。JR常磐線が通じ,旧水戸市,日立市への通勤者がふえており,近年は駅周辺の住宅地化が進んでいる。コロニー,養護学校など県の福祉施設も多い。元禄時代の建築,中崎家住宅は重要文化財に指定。
執筆者:

水戸市中東部の旧市で,1889年市制。1992年常澄村を編入。人口24万6739(2000)。市域の大半は常陸台地那珂川沖積地に広がる。主要市街地は,那珂川と千波(せんば)湖にはさまれた台地上の上市(うわいち)と那珂川の沖積低地上の下市(しもいち)とからなる。12世紀末,大掾資幹(だいじようすけもと)が館を置き,佐竹氏の支配を経て近世に水戸藩の城下町となってから大きく発展した。1889年,両地区の接点に常磐線水戸駅が開設されたが,行政中心は上市に置かれ,以後の都市発展は上市が中心となった。1909年,歩兵第2連隊が千葉県佐倉から水戸の市街地北西に転営し,以来第2次大戦の終戦まで軍都としても機能した。空襲によって焼失したが,現在の水戸市街は,城下町当時の街路網を基本的には踏襲している。JR常磐線,水郡線,鹿島臨海鉄道が分岐し,市域西部に常磐自動車道,南部に北関東自動車道の通じる水戸市の行政的機能は県内全域に及ぶが,商業的機能では主として県北を商圏としている。1960年代から中心市街地の整備が進み,流通センター,卸売センターも整備された。また市内には偕楽園弘道館などの史跡,名所が多く,県立歴史館,県近代美術館,水戸芸術館,徳川博物館などもある文化都市となっている。
執筆者:

常陸国の城下町。地名としては15世紀中ごろ以降から文書にみえるが,城府の名として確定したのは江戸時代初期である。町の原型は,1590年(天正18)佐竹義宣江戸重通を攻めて城を奪い北関東随一の大名となった時期にできた。義宣は,江戸氏時代の居城が東正面であったのを西正面とし,江戸氏の居城地を本丸,宿城を二の丸とし,その西に三の丸を築くなど城郭の普請,堀・土塁の修築を行い,城郭の形態を整えた。また武家屋敷の外に町人町を造成,寺社の移転を進めた。徳川家康は1602年(慶長7)義宣を秋田へ移封したあと家康の第5子武田信吉を城主としたが,翌年死去したため第10子頼将(頼宣)を当てた。頼将も数年で駿河へ移し,第11子頼房に25万石を与えて城主とした。頼房は,佐竹氏時代の二の丸に藩庁と三階櫓を造って本城の中核とし,従来の本丸と二の丸,二の丸と三の丸の間の堀に加えて,三の丸西側の堀,紀州堀,神崎町から並松町に至る堀の計五重の堀を造るなど,城郭と城下の整備をはかった。また城の東方に広がる低地を埋め立てて新たに武家屋敷にするとともに,ここに町人を大規模に移して町人町を造成(田町越え),城下商工業の中心とした。

 城を挟み西方の台地上の町を上町(うわまち)というのに対し,東方の低地を下町(したまち)と呼ぶ。1651年(慶安4)には上町と下町を結ぶ全長18町の新道が完成した。2代光圀(みつくに)の時,城下の整備は一段と進み,とくに寺社の移転が活発に行われた。それには,田町の造成に伴い上町の内郭から下町へ移転したものと,城下から外縁部また郷村へ移転したものとに大別できる。光圀はこのほか下町士民の飲料水確保の目的で笠原水道を敷設したり,家臣のために城下に接する常葉(ときわ)村に常磐共有墓地,坂戸村に坂戸共有墓地を造った。下町は低地で北に那珂川,南に千波湖があるためたびたび洪水に襲われ,とくに1723年(享保8),28年,30年,34年,55年(宝暦5),86年(天明6),1824年(文政7),38年(天保9)などに大被害があった。9代斉昭は藩政改革(天保改革)の一環として,41年城内三の丸に藩校弘道館を建設し,翌年常葉村の一角に偕楽園を完成した。また江戸詰家臣を削減するため城西の馬口労町に隣接する地に新屋敷を造成し,移住させた。

 水戸を中心とする街道には,水戸(江戸),岩城相馬,棚倉,南郷,那須,茂木(もてぎ)宇都宮,結城,瀬戸井,飯沼の9街道があった。元吉田町には水戸街道の一里塚が現存し,小字名も残る。廃藩置県により水戸藩が水戸県になると弘道館に県庁が置かれ,次いで茨城県の誕生に伴い県庁所在地となる。上町は上市,下町は下市と改称された。市制施行時の人口は2万5591人。
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