20世紀日本人名事典 「小田久太郎」の解説 小田 久太郎オダ キュウタロウ 明治〜昭和期の実業家 三越専務。 生年慶応2年10月(1866年) 没年昭和10(1935)年12月7日 学歴〔年〕長崎師範卒 経歴対馬藩士の長男に生まれる。長崎県壱岐の小学校教員を経て、朝鮮公使館に勤務後、東京朝日新聞記者となる。明治28年三井工業部に入り、一時日本絹糸紡績に転じたが、再び三井工業部に復帰し、間もなく三井呉服店に移るが、同店が三越呉服店となるに及んで辞して独立し西洋食料店などを営んだ。45年三越本店に入り、大正7年取締役、のち常務を務め、昭和2〜10年専務に就任。積極経営で知られた。この間、二幸商会会長、東京商工会議所常議員などを兼任した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小田久太郎」の解説 小田久太郎 おだ-きゅうたろう 1866-1935 明治-昭和時代前期の経営者。慶応2年10月生まれ。長崎県壱岐(いき)の小学校教員をへて,東京朝日新聞記者となる。のち三越本店にはいり,昭和2年専務。積極経営で知られた。昭和10年12月7日死去。70歳。長崎師範卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by