20世紀日本人名事典 「小畑忠良」の解説
小畑 忠良
オバタ タダヨシ
昭和期の平和運動家,実業家,官僚 大阪府原水協会長;大阪日ソ協会長;企画院副総裁。
- 生年
- 明治26(1893)年3月16日
- 没年
- 昭和52(1977)年10月11日
- 出生地
- 大阪府
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法科大学英法科〔大正6年〕卒
- 経歴
- 大正6年住友総本店入社、商工課長、経理部長、住友電線専務を経て昭和15年8月住友退社。近衛文麿に請われて企画院副総裁となり16年4月退官。その後大日本産業報国会理事長、大政翼賛会事務総長を経て20年4〜6月愛知県知事を務め、次いで東海北陸地方総監となった。戦後公職追放となって平和運動や原水爆禁止運動に身を投じ、また日中、日ソ国交回復運動で活躍。30〜38年革新系から大阪府知事選に3回立候補したが、いずれも落選した。大阪府原水協会長、大阪日ソ協会長、日中国交回復関西国民会議会長などを歴任した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報