尾藤氏(読み)びとううじ

改訂新版 世界大百科事典 「尾藤氏」の意味・わかりやすい解説

尾藤氏 (びとううじ)

中世武家。藤原秀郷の流れをくむ公澄が尾張守となって尾藤を称したのにはじまるという。公澄の数代後の尾藤五知広の子の代に,はじめ源義仲に属しのち源頼朝に参じて信濃国中野御牧,紀伊国田中・池田両荘を領した尾藤太知宣の一流と,1203年(建仁3)の比企合戦で北条方として活躍する尾藤次知景の一流とに分かれる。知宣の子知平は池田荘に住しその後は代々池田を称したと思われるが,知景の子景綱とその子孫は北条氏嫡流家の被官として活躍している。景綱はすでに北条義時の被官として活動していたが,24年(元仁1)義時の子泰時の家令となり,35年(嘉禎1)までその任にあって北条氏公文所を統轄。その子景氏も北条時頼に近侍した。また実名こそ不詳であるが,91年(正応4)鎮西訴訟の厳正をはかるために北条貞時の使者として派遣された尾藤内左衛門入道も,景綱の一流と考えられる。
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