武家(読み)ぶけ

精選版 日本国語大辞典 「武家」の意味・読み・例文・類語

ぶ‐け【武家】

〘名〙
武士家筋武門。また、中世以後の幕府・将軍家、およびそれに仕える守護地頭御家人以下の一般の武士の総称朝廷に属する公家に対していう。武士。
吾妻鏡‐文治二年(1186)二月二五日「執行武家事之間。於事賢直」
鎌倉時代、鎌倉の幕府に対して六波羅探題をいう。
勘仲記‐弘安三年(1280)五月・六月紙背(藤原親朝書状)「可尋沙汰之旨、去年八月被院宣於武家候了。仍当時武家召対両方、擬聞理非
室町時代、特に、幕府・将軍家をいう。
園太暦‐康永三年(1344)正月二七日「武家送使者、〈安芸守成藤也〉召簾外之」

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デジタル大辞泉 「武家」の意味・読み・例文・類語

ぶ‐け【武家】

武士の家筋。武門。また、一般に武士の総称。⇔公家くげ
室町時代、特に幕府あるいは将軍家をいう。

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改訂新版 世界大百科事典 「武家」の意味・わかりやすい解説

武家 (ぶけ)

原義的には武を専業とする家柄すなわち武士の家筋を指し,武門と同義語。しかし,一般的には武士階級の台頭以後,武士の棟梁あるいは武士階級出身の政治権力者などを指す場合と,鎌倉幕府成立後の幕府・将軍家およびその支配下の御家人を含めて,武士一般の総称として用いられる場合とがある。この後者の意味での武家とは天皇以下,京都朝廷に属する公家に対するものとしてとらえられ,武家政治武家政権などの称呼を生んだ。《源平盛衰記》に平清盛を指して〈武家の塵芥なり〉とあるのはその用例である。《吾妻鏡》養和1年(1181)10月12日条に〈武家護持の神たるにより殊に御信仰あり〉と見え,また元暦1年(1184)3月28日条には〈武家の輩の事につき仙洞より仰せ下さることは〉〈武家道理を帯す事に至っては〉などの記事があり,同年4月15日条に〈武家の政務を補佐すべきの由,厳密の御約諾に及ぶ〉,さらに文治2年(1186)2月25日条に〈北条殿,去年より在京し武家の事を執行するの間,事に於いて賢直たり〉などの用例が見られ,鎌倉時代に武家の呼称がかなり広義に用いられていたことがわかる。室町時代に入ると,武家は主として幕府あるいは将軍家を指す用語となる。武家執事,武家伝奏などは幕府を意味する用例であり,《園太暦》康永3年(1344)1月27日条に〈武家使者を送る,簾外に召しこれに謁す〉とある場合には将軍・将軍家を意味する。しかしこのときにも,場合によっては室町将軍の支配下の武士階級全体を指すこともあり,《南方紀伝》下に小笠原長秀らに命じて,〈武家礼式を定む〉とあるのはその適例である。こうして公家の有職に対する武家故実も成立したのである。江戸時代には主として徳川将軍家を武家というが,同時に諸大名をはじめ,幕府直臣や大名の家臣のうち比較的上流の武士たちをも武家と称した。この時代には武家諸法度,武家手船(ぶけてぶね)(武家所有の船)などの名称が見られる。
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百科事典マイペディア 「武家」の意味・わかりやすい解説

武家【ぶけ】

本来的には武士の家筋をさし,武門と同義。一般的には公家に対する言葉で,鎌倉幕府成立後の幕府・将軍家・御家人を含めた武士一般の総称。武士は平安中期,地方豪族や国司の武装化によって勃興(ぼっこう)し,地方の有力農民層を組織して各地に武士団を形成した。保元・平治の乱で中央政界に進出,鎌倉幕府を樹立してより明治維新に至るまで,政権をその手中に掌握した。
→関連項目義演准后日記常備軍中間天皇棟梁読史余論日本身分統制令有職文様

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「武家」の意味・わかりやすい解説

武家
ぶけ

武士の家筋をさし、「武門」ともいう。平安後期以来、清和源氏、桓武平氏の首長としての武家の棟梁が登場し、さらに武家政権が成立すると、棟梁や政権の首長を武家とよぶようになった。さらにそれが率いる政権、あるいはそれに従う武士の全体をも武家とよぶ場合があり、それらの呼称は江戸時代に及んだ。天皇以下の朝廷を公家(くげ)といい、武家は本来公家に従属し、軍事・警察機能によって奉仕したが、その半面、武士の台頭に伴って、武家は公家に対立するようになった。

[上横手雅敬]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「武家」の解説

武家
ぶけ

武門とも。武士一般の称。平安中・後期の家産制の発達にともない,天皇および朝廷貴族集団が公家(くげ),宗教権門である寺社勢力が寺家(じけ)・社家とよばれるようになると,それと並ぶ社会集団に成長していた武士勢力の総称として武家という言葉が用いられるようになった。鎌倉時代の史料上の語としての武家は,狭義には六波羅探題(ろくはらたんだい)およびその機構をさす語として用いられることが多い。室町時代以降は将軍個人をさす言葉として用いられることもあった。

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世界大百科事典(旧版)内の武家の言及

【家】より

…次に家の内部に注目すると,上述の成員は婚姻,血縁,主従の縁を通して相互に固く結びつき,もっとも濃密な人間関係を形成していたが,外に向かって家を代表する家長(家長者,家督,惣領)とそれをつぐ嫡系子孫の地位は,主として外的契機に触発されながら,家の発達とともに強められ,それ以外の成員はしだいに従属的地位におしこめられるようになった。武士の家において,その成立期にあたる鎌倉時代に内部的には共和的で幕府との関係上惣領が所役勤仕のために一族を率いる惣領制が展開し,武士相互の抗争と政治的進出が激しくなる南北朝以降に家督の単独相続と家中への独裁が形成されるのは,この過程を如実に示すものであり,公家・武家を問わずこの中で家長が家長を頂点とする家のあり方を示す家訓置文類を作成するようになるのは,それが当時いかに強く自覚されていたかをよく示している。 ところで家の発達が,家長の地位強化という形ですすむとすれば,その中で各家が固有に担う社会的機能を存続させようとする社会の期待は強まるはずだから,それは,家の自己保存の欲求を支え,強化された家長の地位の継承という形で,家の継承を確立させることになるだろう。…

【公儀】より

…私事でない公的な事柄を指す言葉。古くは武家に対する公家(こうか∥こうけ)を指す言葉であったが,室町時代以降権力の移動につれて武家を意味するようになり,江戸時代には世間,世の中をも指すようになった。古代においては公家(くげ)は朝廷,おおやけという意味で使用され,また漠然と天皇を指す場合もあった。…

【中世社会】より

…こうした安良城による中世社会の規定については異論も多いが,中世を近世社会と区別された独自な社会とする見方は最近では広く認められるようになっている。 これに対し,天皇による全人民の支配を理想とする立場から,武家の支配する中世を否定的にとらえる見方は幕末・明治初年以来存在したが,1930年代以後,とくに平泉澄(きよし)らによって主唱され,敗戦まで世を風靡(ふうび)した。天皇の政治的実権がまったく失われる契機となった南北朝内乱は,この観点から時代を区分する画期として注目された。…

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