20世紀日本人名事典 「山田浩二」の解説 山田 浩二ヤマダ コウジ 明治〜昭和期のビリヤード選手 生年明治20(1887)年1月29日 没年昭和16(1941)年9月16日 出生地東京 経歴家が洋食店で撞球を営業、そのため、幼少から撞球になじみ、20歳で四つ球1300をつき、天才といわれた。21歳の時松園均平博士に伴われてドイツに渡り、大正10年ニューヨークのアスター・ホテルで、世界ボークライン選手権保持者ウィリー・ホッペを破り、世界的名選手として名を上げた。11年帰国、東京・丸ビル内に撞球場を開放して後進を指導した。昭和16年3月日本初の撞球名人位を贈られた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田浩二」の解説 山田浩二 やまだ-こうじ 1887-1941 大正-昭和時代前期の撞球(どうきゅう)家。明治20年1月29日生まれ。22歳のときドイツにわたり,撞球(ビリヤード)を修業。大正10年ニューヨークで世界ボークライン-チャンピオンのウィリー=ホッペをやぶる。帰国後,東京の丸ビルに撞球場を開設し,後進を指導。昭和16年初代の撞球名人位をおくられたが,同年9月16日死去。55歳。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by