高度の創造活動を行い、または傑出した社会的業績を達成するなど常人よりもはるかに優れた能力、才能を示す人物。この能力については二つの見方がある。第一は、天才と常人の差は量的なものにすぎないとする立場。第二は、その差は質的であると考える立場である。
[藤永 保]
1950年代ごろまでの心理学では、知能テストの実用的成功とその研究の進展を背景として知的業績はすべて知能の所産とする知性の一元化説が信奉され、天才とはきわめて高い知能指数の持ち主をさすという見解が強かった。たとえば、知能テストの研究者ターマンは、IQ140以上の人々の出現頻度は0.25%にすぎず、これらの人が天才児だとしている。彼は、カリフォルニアのIQ140以上の優秀児を多年にわたり追跡研究して、これらの子供の大半は後年になってもIQは不変であり、学力、学歴に優れ、社会的地位や収入も高いことを示した。しかし、なかには、高いIQをもちながら情緒不安定のため社会的成功は収めなかったケースも認められた。また、これら優秀児中から予期したような創造的業績をあげた人はほとんど出なかった。皮肉なことに、ターマンの選んだ高知能群に漏れた子供のなかからはノーベル賞受賞者が二人も出現した。ターマン一門は、初め高知能児を天才とよんでいたが後に英才児と改めるようになった。さらに、天才といわれる人々の学校時代の成績を調べると、エジソンやアインシュタインの例で知られるように、全科目好成績といういわゆる優等生型(好例はカント)はむしろ少数で、特定の科目に熱意と才能は示すものの、成績の不均衡の目だつ場合の多いことが判明した。これらから考えると、IQや学業成績の高さだけが成功を保証する唯一の要因ではなく、人格的要素の力も大きい、天才はかならずしも学校秀才ではない、天才と高知能指数とは同一ではない、ことなどがはっきりする。1960年代以降、創造性テストの研究が盛んになってきたのは、知能テストが知性の一部分しか測定しえていないという批判に基づく。興味深いのは、知能テストと創造性テストの成績の間にはギャップがあり、両者はかならずしも並行しないことである。創造性テストが独創的業績を予測できるかどうかはまだ未解決であるが、少なくとも知能指数による常人・天才連続説はほとんど信頼を失った。連続説のもう一つの立場は、フランスの博物学者であるビュフォンの「天才とは長い忍耐の別名」ということばに象徴される努力説、または学習意欲説であろう。天才的業績の達成には、準備段階として、高度の知識や技能の習得と、さらに特定課題に対する長期間の集中が必要なことは論をまたない。しかし、創造性の諸研究に示されたように、創造者の集中は純粋な探索欲求が主軸をなし、かならずしも成功を目ざす達成欲求ではない。この点、一般的動機づけの中心をなす功利的動機とは異質なものが、やはり天才の業績を支えているとみるべきであり、ここでも常人と天才の差異は、量よりは質的次元にある。
[藤永 保]
第二の質的差異を強調する立場は、ロンブローゾの天才狂気説に端を発したもので、精神医学者に多い。この考えは、当然、天才は特殊の遺伝因子によるという遺伝説と結び付く。ドイツの精神医学者ランゲ・アイヒバウムWilhelm Lange Eichbaum(1875―1949)によれば、古来からの天才300~400人についてみると、生涯に一度は精神病的状態を表した人の比率は12~13%に達し、平均人口の0.5%より異常に高い。さらに最高級の天才35人を選ぶと、精神病的なものが40%に及び、病的なものとの結び付きが争えないという。クレッチマーもまた、人間の才能と遺伝的体質との結び付きを論じ、カントのような細長型体質―分裂気質の天才と、アレクサンダー・フォン・フンボルトのような肥満型―そううつ質の天才との類型を分けている。フロイトもまた、たとえばシェークスピアはきわめて深いエディプス・コンプレックスを抑圧しており、それが彼のテーマとして表れ多くの人の共感をよぶのだと論じている。これは、遺伝を強調するわけではないが、特定個人の特定の病理的心性が創造性を生み出すとする点で、やはり一種の狂気説であるといえよう。これらの所説からは、天才についての精神症状の発生と経過を追跡し、それが創造活動といかにかかわるかを究明しようとする病跡学とよばれる研究分野が開ける。ヤスパースによるストリンドベリとゴッホの分析はこの分野の古典として著名で、日本でも1950年代になってから、夏目漱石(そうせき)、島崎藤村(とうそん)、宮沢賢治などさまざまの作家についての研究が盛んになってきている。ただし、この時代までの病跡学は内因性精神病は統合失調症とそううつ病の二大類型に分かれるという伝統的見解に立っていたが、行動遺伝学などの進展によってこの二つはかならずしも別個のものとはみられなくなった。また、病跡学の資料はエピソード的で厳密な診断とは言い難い。これらの理由によって天才と狂気の結びつきは一時期根拠がないとされていたが、ふたたび新しい資料の発掘によって見直しの機運にあり、そううつ病と文芸的才能との関連などが実証的手法によって検討されている。また、創造性研究の進展により、天才は単純な一つの因子に還元されない複雑多岐なものであることが明らかとなってきた。たとえば、創造の前には集中的な努力の期間が必要であり、また美的感受性といった一見無縁な要素も重要であるらしい。ただし、現状の多くの社会・人文科学、とりわけ自然科学の動向はビッグサイエンス(巨大科学)への指向が強く、個人よりはチームの業績が主流となりつつある。研究課題自体の共通性も高まり、つねに複数のチームが紙一重の差で競争しあっているから、一歩先にゴールに到達したからといってそれが本当に画期的業績であるかどうか評価するのは困難である。天才の名に値する業績は、今後はおそらく哲学、数学、文芸、絵画、音楽、スポーツなど個性的才能に多くを依存する分野に限って出現する傾向が強くなるのではなかろうか。
[藤永 保]
天才のもつ遺伝的気質についての興味深い知見は、サバン症候の研究にみられる(この語は、もともとはフランス精神医学の用語だった「イディオ・サバン」に由来している。日本語ではかつては「白痴の天才」などと訳されていた。現在は、差別語である「イディオ」を除きサバン症候と言い換えられている)。サバン症候とは、一般的な意味では知的な遅滞があるにもかかわらず、特定分野に限って異例の能力を発揮するケースをさす。才能の分野にはさまざまなものがあり、暦の日付けや数の計算能力、超人的記憶力、鋭敏な知覚能力、絵画能力などがあるが、古くからよく知られているのは音楽能力である(絵画については、日本でも山下清(1922―1971)の例がよく知られている)。たとえば、アメリカ南北戦争当時、貧しい黒人女性奴隷が男児つきで大佐ビートンに売り渡されたが、この子は精神遅滞で語彙(ごい)は100語を越えず、しかも盲目だった。彼は、トマス・グリーン・ビートンと名づけられたが、大佐の娘の習うピアノに興味をもち、なんの訓練も受けなかったのに、4歳児のときに聞き覚えた曲を一人で演奏しているところを発見された。以後、大佐はトムの教育に力を入れた結果、5000曲に及ぶレパートリーをもつようになり、全米各地を演奏して回るに至った。トムは一度聴いただけの曲や歌曲を正確に再現し、また即興演奏でも才能を示した。同様な異能の例は、その後も報告されている。
サバン症候は、自閉症状をもつ子供におこることが多いといわれる。その機制はいまだに解明されていないが、前述の特異技能が一般知能とは独立したものであり、それぞれ独自の能力分野(モジュール)をなしていることが示唆される。アメリカの教育心理学者ガードナーHoward Gardner(1943― )は、サバン症候その他の知見の総合として、従来の一般知能重視論に対して、言語的、論理・数学的、空間的、音楽的、身体・運動的、内省的(個人的)、対人的、博物的知能という8種の独立した知能があるとする多重知能(MI)説を提唱した。これらの能力は、比較的早期から発現するという。さらに、従来の学校教育は前二者のみの偏重に陥っていたとして、より個性的な能力の重視と個性教育を唱えている。アメリカでは、多重知能の実験学校もつくられているが、中国の英才教育などとも相まって、新しい才能の発見と育成の道が開けていく可能性もあろう。
[藤永 保]
かつてクレッチマーは、実証主義が学問の主流になるにつれて抽象的理論を好む分裂気質―細長型天才から具体性と実証を重視するそううつ気質―肥満型天才への移行が認められると説いた。時代・文化的環境の推移につれて、社会的に要求される才能の質やタイプが変化するという指摘は興味深い。1990年代になって、いわゆる発達障害の急増につれてサバン症候にみられる特異な才能の問題がさらに拡張され、発達障害と異能や天才との関係が注目をひきつつある。
発達障害の典型である自閉症では、言語遅滞をはじめなんらかの知的遅滞を伴うことが多く、そこに現れる特異才能もサバンにみられるような特定領域に限局され、日常的には多くの欠陥を示すのが通例である。これに対し、自閉症と同時期の1940年代に発見されたアスペルガー症候(群)では類似の社会的障害やコミュニケーション面での欠陥はみられるものの知的な遅滞は認められない。これに倣う高機能自閉症などもとなえられ、自閉症類似障害の範囲はしだいに拡大されて広汎性発達障害(PDD)や自閉症スペクトラムなどの用語が多用されるに至ったが、さらに類似障害として学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)なども加わるようになった。用語・概念ともに転換期の混沌(こんとん)を示しているが、こうした広義の発達障害の増大はどの程度かが問題になる。古い統計には用語そのものがないから厳密には比較のしようもないが、多くの研究者は増勢は否定できないとする。定義や調査の仕方により数値は変わるが、日本では学童期には2~3%に達するという説もあり、文部科学省調査の結果はそれを上回っている。増勢の理由は、一つには上記のように従来は無関係とされていた症候が発達障害に含まれるに至ったこと、また一種の流行現象としてささいな徴候を示す者まで発達障害のレッテルを貼られやすいことによる。それ以外の本質的理由や原因についてはホルモン変調など憶測の域を出ないものにとどまるが、社会的には発達障害的特質が新しい価値に転化しつつあるという背景があるからであろう。たとえば、特定の仕事や分野には熱中するがそれ以外興味がなく、自分の得意とすること以外は欠点が多いなどの特性をもつ人が成功を収めたりするなど、前代には好ましいとみられなかった特性が社会情勢の変化によってプラスに働くために顕在化し増強すると考えられている。
こうした背景があるためか、発達障害と異能との関連が現代の病跡学のトピックとなりつつある。典型例はアインシュタインで、幼児期には高度の言語遅滞があり、古典語の習得を嫌ったために大学の入学試験に失敗した。長じてもなお鏡文字(左右が逆になる文字)が残った。思索に熱中すると家族の姿すら影絵のようにしか感じられない、などのエピソードが伝えられている。またアインシュタインは言語を思考の用具としては使うことがなく、映像的表象に頼ったという。数学的天才と言語障害とは分かちがたく結びついているのかもしれない。こうした例は、異常な才能はなんらかの偏りの上に初めて生まれるという示唆を与える。アメリカの才能教育では異能と言語障害などをあわせもつ子供を二重例外児(twice exceptional、略して2Eとも)とよぶ。この概念は、かつての病跡学の発想をさらに進めて、障害と異能とはむしろ必然的関連をもつとみなしている。
[藤永 保]
『ロンブロオゾオ著、辻潤訳『天才論』(1926・春秋社)』▽『ヤスパース著、村上仁訳『ストリンドベルクとゴッホ』(1952・創元社)』▽『千谷七郎著『漱石の病跡』(1963・勁草書房)』▽『福島章編『現代のエスプリ 天才の精神病理』(1982・至文堂)』▽『福屋武人・鍋田恭孝編『クレッチマーの思想――こころとからだの全体理論』(1986・有斐閣)』▽『G・トネリ他著、細井雄介他訳『天才とは何か』(1987・平凡社)』▽『ダロルド・A・トレッファート著、高橋健次訳『なぜかれらは天才的能力を示すのか――サヴァン症候群の驚異』(1990・草思社)』▽『古寺雅男著『新・天才論――教育学からのアプローチ』(1996・ミネルヴァ書房)』▽『テンプル・グランディン著、カニングハム久子訳『自閉症の才能開発――自閉症と天才をつなぐ環』(1997・学習研究社)』▽『W・ランゲ・アイヒバウム著、島崎敏樹・高橋義夫訳『天才――創造性の秘密』(2000・みすず書房)』▽『Richard P. Brennan著、大場一郎・室谷心訳『天才科学者はこうして生まれた――創造はセレンディップ?』(2001・丸善)』▽『ハワード・ガードナー著、松村暢隆訳『MI:個性を生かす多重知能の理論』(2001・新曜社)』▽『ネストール・ルハン著、日経メディカル編『天才と病気』(2002・日経BP社)』▽『竹内均著『数学の天才列伝――竹内均・知と感銘の世界』(2002・ニュートンプレス)』▽『デイヴィッド・ホロビン著、金沢泰子訳『天才と分裂病の進化論』(2002・新潮社)』▽『アーサー・I・ミラー著、松浦俊輔訳『アインシュタインとピカソ――二人の天才は時間と空間をどうとらえたのか』(2002・TBSブリタニカ)』▽『アンドリアセン著、長野敬・太田英彦訳『天才の脳科学』(2007・青土社)』▽『岡南著『天才と発達障害』(2010・講談社)』▽『エレンスト・クレッチュマー著、内村祐之訳『天才の心理学』(岩波文庫)』▽『福島章著『天才――創造のパトグラフィー』(講談社現代新書)』▽『フランツ・ブレンターノ著、篠田英雄訳『天才』(岩波文庫)』▽『ゲルハルト・プラウゼ著、畔上司・赤根洋子訳『年代別エピソードで描く 天才たちの私生活』(文春文庫)』▽『飯田真・中井久夫著『天才の精神病理――科学的創造の秘密』(岩波現代文庫)』
生まれながらに備わった,平均をはるかに超える傑出した才能のこと。またそのような才能を持ち,それぞれの分野で比類ない創造性を発揮する人をいう。これにあたる英語のgenius,フランス語のgénieが,もともと〈守護神〉や〈守護霊〉を指すラテン語ゲニウスgeniusに由来することからもわかるように,古くはこういう神や霊が天賦の才をさずけてくれるものと考えられた。〈天才〉という漢語もまさに,〈天から分かち与えられた(すぐれた)才能〉を意味する言葉として使われており,初唐四傑の一人として華麗な詩風で詩壇を圧した王勃の例がよく知られる(《新唐書》)。そのほか〈神童〉という概念も昔から中国や日本で流布していて,西欧流のgeniusの発想と似ているが,〈神童〉はしかし,〈はたち過ぎればただの人〉になる場合があるところが違う。いずれにせよ,天才には古来神秘的なニュアンスが多少ともまといついているが,この点を重視するドイツのランゲ・アイヒバウムW.Lange-Eichbaumは,天才の要素として,(1)卓越している,(2)感動を与える,(3)人の心を引きつける,(4)なにか特別な,異様なものをもつ,という四つをあげ,これらが同時に作用するときに〈神聖な天才和音〉が共鳴しあうと述べる。
しかし,天才をこのように平均人とは異質な存在として神格化したのは一般には19世紀前半までで,それ以後は生物学や医学の側から科学的な調査や分析が加えられるようになる。天才の遺伝も初期に興味を呼んだテーマの一つで,たとえばイギリスのゴールトンは高い天分をもつ学者や芸術家415人の家系をしらべ,31%にすぐれた父を,48%にすぐれた息子を,41%にすぐれた兄弟を,14%にすぐれた孫を見いだして,高度の天分が遺伝することを実証した(《天才と遺伝》1869)。こうした知見の延長上にあるのがクレッチマーの指摘で,それによると,近世ヨーロッパの天才たちは北方人種とアルプス人種との混交地帯に多く現れており,フランスの大部分,フランドル・オランダ,ドイツの大部分,上部および中部イタリアがこれに属するという(《天才人》1929)。他方,天才の知能指数を問題にしたのがアメリカの心理学者ターマンL.M.Termanで,1916年に考案したビネ=シモン知能検査のスタンフォード改訂版を用い,知能指数(IQ)140以上が天才で,その百分比は0.25%であることを明らかにした。ちなみに,歴史上の天才301名についても,その伝記的資料からIQを推定し,たとえばJ.S.ミルは17歳までの資料からIQ190,ゲーテは17歳から25歳までの資料でIQ200という高い数値があげられている。
天才と狂気を結びつける考え方は古代ギリシアの昔からあり,たとえば〈狂気のない大詩人はいない〉というデモクリトスの言葉や,〈狂気をまじえぬ偉大な魂なぞはない〉というアリストテレスの言葉にもよく表現されている。〈狂気と天才を隔てるのは一重の薄い壁だけである〉というシェークスピアの文句も有名で,これが単純化して〈天才と狂人は紙一重〉になったと伝えられる。こうした天才と狂気の関係に初めて医学的照明をあてたのはイタリアのロンブローゾである。彼は当時の学界に広まっていた変質説に立って天才の病理性をこまかく調べあげ,〈すべての天才はてんかん(てんかん)性の兆候をもつ〉という大胆な命題を発表するとともに,《天才と狂気》(1864)と題する本を刊行して学界に激しい論議をまきおこした。反応は大別して三つで,天才は最高の健康だから病的なものを混入するはずがないという否定論,天才は混在した病的なものから刺激をうけとって高い価値を生み出すという肯定論,天才に病的なものがあってもそれは無関係で,彼らの創造性は人格の健康な部分から生まれるという中間派がそれぞれ自説を主張してゆずらなかった。こうした動きは19世紀の末から20世紀の初めにかけて実証的な天才研究をつぎつぎに生み出す機縁ともなった。たとえばフランスの精神科医トゥールーズÉ.Toulouseは,当時人気の高かったÉ.ゾラを〈生きている天才〉に見立てて分析しようと企てた。これに応じたゾラはまる1年のあいだ毎日2時間ずつトゥールーズとその20人の助手たちの実験台になって,あらゆる検査をうけたが,ロンブローゾの述べるような病的兆候はなく,ただ強迫観念がわずかに認められただけだったという。
こうした個別の天才研究が,20世初めから病跡学(パトグラフィー)と呼ばれる独自の分野へと着実に発展していくわけだが,この方面の権威だった既述のランゲ・アイヒバウムは改めて天才と狂気の関係を検討し,これを肯定している。彼の調べによると,世界史上とくに有名な人物78人を選んだ場合,(1)一度は精神病の状態を示したもの37%,(2)強度の異常性格83%,(3)軽度の異常性格10%,(4)健康な者6.5%で,さらに最高の天才35人にしぼると,精神病的ケースは40%にも達するという(《天才,狂気,名声》1956)。しかし,天才的創造性と精神病理との関係は実際にはさまざまで,両者の因果関係を考えるにあたっては慎重でなければならない。クレッチマーによると,精神病理の要素が促進的に作用する場合でも〈健全かつ堅固な全人格〉と密接に結びつくことが必要である。つまり,全人格は病的要素にともなう矛盾や不安や葛藤によって刺激されるとともに,これらを制御する力をそなえていなければならないというわけだが,それが可能なのが天才の要件でもある。
ところで,現代は天才の時代ではない。天才が天才らしく出現したのはやはりルネサンスの時代で,〈万能の天才〉レオナルド・ダ・ビンチ,〈巨大な天才〉ミケランジェロをはじめ,その例にこと欠かない(普遍人)。しかし,こうした全人的天才の系譜は19世紀初めのゲーテで終わり,産業革命を経て社会が近代化するとともに今度は大規模な研究者集団や,コンピューターをはじめとする巨大な機械装置のたぐいがかつての天才に代わって登場するようになる。同時に狂気の様相も変わりつつある。こうして〈天才と狂気〉という古来の問題も一つの転換期を迎えているといえる。
→英才教育 →狂気
執筆者:宮本 忠雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…次いでめっき(鍍金)時代の実業家をモデルに進化論と超人思想の入りまじった〈欲望三部作〉の1部《資本家》(1912),2部《巨人》(1914)を相次いで発表した。15年,自伝的小説《“天才”》がニューヨーク悪徳防止協会から告訴され,わいせつのかどで発禁処分を受けたが,H.L.メンケン,シャーウッド・アンダーソンなど文化人478名が抗議するなど話題を呼んだ。評論集《ヘイ・ラバ・ダブ・ダブ》(1920),戯曲《陶工の手》(1918)を出したのち,《アメリカの悲劇》(1925)を出版,国際的にも名声を得た。…
…しかし,幼児に大人の肉体的徴候が現れるような性早熟は病的なもので,思春期早発症とよばれる。そのほかに数学や音楽など科学的・芸術的才能に非常に早期から秀でるような場合は,早熟というよりむしろ天才とよばれる。思春期早発症【村上 徹】。…
※「天才」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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