山階寺(読み)ヤマシナデラ

デジタル大辞泉 「山階寺」の意味・読み・例文・類語

やましな‐でら【山階寺】

《はじめ山城国山階に建てられたところから》興福寺旧称

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精選版 日本国語大辞典 「山階寺」の意味・読み・例文・類語

やましな‐でら【山階寺】

奈良市登大路町にある法相宗大本山、興福寺の古称。はじめ山城国山階(京都市山科区大宅)に創建されたころの称。山科精舎(しょうじゃ)

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旺文社日本史事典 三訂版 「山階寺」の解説

山階寺
やましなでら

興福寺の前身

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世界大百科事典(旧版)内の山階寺の言及

【興福寺】より

…710年(和銅3)平城遷都の直後に藤原不比等が建立した。寺伝では本尊の釈迦三尊像は不比等の父の藤原鎌足の念持仏であり,近江大津京では山階(山科)(やましな)寺,大和藤原京では厩坂(うまやさか)寺に本尊としてまつられたといい,興福寺が藤原氏の氏寺たるいわれや,山階寺と呼ばれるゆえんがわかる。興福寺の寺地は平城京の左京三条七坊(外京)を占め,官営工事も加わって天平盛代には七堂伽藍をそなえた。…

【藤原鎌足】より

…翌669年10月,近江の大津京の邸で病が重くなり,その15日には大織冠(後の正一位相当)・内大臣,そして藤原という氏を賜ったが,翌16日に没した。平生から仏教に心を寄せていたので,嫡妻の鏡女王(かがみのおおきみ)は大津京の南西の山科(やましな)にあった別邸を寺とし,翌670年閏9月の本葬もこの山階寺(やましなでら)(興福寺の前身)で行われた。また,2人の息子のうちで長男の貞慧(じようえ)(定恵とも。…

※「山階寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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