山城(読み)やましろ

精選版 日本国語大辞典 「山城」の意味・読み・例文・類語

やましろ【山城】

[一] 畿内五か国の一つ。大化改新後一国となる。古く山背・山代と書かれたが、延暦一三年(七九四桓武天皇が平安京を置くとともに山城と改められた。鎌倉時代は京都守護(のち六波羅探題)が置かれ、室町時代は幕府が開かれ、侍所所司が守護を兼ねた。江戸時代は京都に所司代町奉行、伏見に奉行が置かれ、また淀藩が置かれた。明治四年(一八七一)の廃藩置県後、京都府と淀県となったが、まもなく淀県は廃止され、京都府の南部となる。雍州。山州。城州。城(じょう)
[二] 雅楽の曲名。催馬楽の呂の歌。
[三] 旧日本海軍の戦艦。大正六年(一九一七)竣工。排水量三万六〇〇トン。主砲三六サンチ砲一二門。「扶桑(ふそう)」と同型。

さん‐じょう ‥ジャウ【山城】

〘名〙 山に築いた城。山頂や山腹などの地形を利用してつくられた城。やまじろ。
※中華若木詩抄(1520頃)中「江城山城これも、江辺にあれば江城、山辺にあれば山城なり」 〔張九齢‐登高安南楼言懐詩〕

やま‐じろ【山城】

〘名〙 山に築いた城。山頂や山腹などの地形を利用してつくられた城。さんじょう。

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デジタル大辞泉 「山城」の意味・読み・例文・類語

やましろ【山城】

旧国名の一。五畿に属し、現在の京都府南東部にあたる。古くは「山背」と書いた。城州。

やま‐じろ【山城】

山に築いた城。→平城ひらじろ

さん‐じょう〔‐ジヤウ〕【山城】

山に築いた城。やまじろ。

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改訂新版 世界大百科事典 「山城」の意味・わかりやすい解説

山城 (さんじょう)

山地を利用した城をいい,日本では古代の山城と,平安時代半ばころから始まり,中世以降発達するものの2種がある。後者は山城(やまじろ)と呼ばれることも多い。古代の山城は大陸,とくに朝鮮半島の築城法の影響によるものが多く,三方を山に囲まれた谷を含めた縄張をもち,稜線またはその外側に鉢巻状に城塁を築き,谷の出口に城門や水門を築く。これを朝鮮式山城と呼びならわしてきたが,その内容は一様ではない。大きくは,百済滅亡後,新羅・唐連合軍の進攻にそなえて660年代に築かれた大野城から高安(たかやす)城にいたる一連の城(いわゆる天智築城の城)と,それ以前の築城と考えられる神籠石こうごいし)とに分けられる。天智の築城は,百済の遺臣の指導により,防御正面に急峻な地形をとり,背後に谷の出口をもつ大規模なもので,城内に多数の兵舎や倉庫群をもっている。神籠石はそれに比べやや小規模であるが,それにも北九州に分布する防御正面を平地に近くつくって谷を含み,背後に山稜をとり込む斜面型(九州型)と,山頂に鉢巻形に列石をめぐらす瀬戸内型の2種がある。神籠石の構築年代については,6世紀の筑紫君磐井(いわい)の乱を契機とする説から,7世紀後半説まである。8世紀の吉備真備(きびのまきび)築城による怡土(いと)城は,九州型神籠石に縄張は似るが,稜線に多数の楼閣を設けた中国式のものであった。

 山頂に郭を構えた山城は,すでに11世紀に始まる東北地方の争乱にみられる。山頂に主郭を置き,尾根に階段状に副郭を連ねる形式は,近世に至るまで連続して用いられる。主郭のみの単郭式のものもみられるが,尾根に階段状に郭を並べる連郭式のもの,さらに放射状に副郭をつくるものなど,時代とともに発展した。しかし大名,国人層あるいは土豪,百姓惣郷組などその築城者によっても,各地各様,千差万別である。郭と郭の間に空堀を掘り,両方から土塁を築いて入口をつくる虎口(こぐち)や,郭をめぐる土塁などを設けて防御を固めているのが一般的であった。戦国大名が成長してゆくと,山上から山麓の居館部にまで連結される複雑な構えに発展する。城門などに一部石垣を築くこともあるが,一般に大規模な石垣を築くのは鉄砲伝来以後のことで,江戸時代に入ると山城は築かれなくなる。

執筆者:

山城は,侵略軍から村民を守るためのもので,国家形成期から現代に至るまで使用された。その遺跡は朝鮮半島全域に及び,総数は2000をはるかに超えている。構造は一般的には三方を山地に囲まれた谷地を選び,その稜線の外側に沿って鉢巻形に城塁を築き,谷の出口に城門や水門を築く。村落間の抗争で村民が山谷に避難したことなどから始まり,初現は三国時代以前にさかのぼる。国家形成期には村民や都民の居住地を防衛するための城郭とともに,住民の避難用の山城が造られるようになった。確認される最古の山城は,紀元3年に築城し,高句麗王都民を収容した尉那巌城である。4世紀までに,高句麗では山城がほぼ全土に築かれた。この時期の朝鮮中部・南部では居住地防衛の城郭が中心で,百済の都城などに山城がみられる程度である。5世紀後半以後,新羅,加羅諸国の発展にともなって,南部でも山城が本格的に築城されるようになった。7世紀に隋,唐と戦った高句麗は,山城を避難用のものから戦闘用に変えたが,百済,新羅の山城もその影響を受けた。672-691年に,統一新羅の九州五小京制が完成すると,地方行政の政策として,山城が政治的示威に使われることもあった。その後,後三国時代など国内の争乱期にも,住民の避難用として山城が利用されたが,とくに外部よりの侵略期には山城の築城が多かった。北部ではモンゴル,清の侵入,南部では倭寇と豊臣秀吉の侵入時である。さらに,近代の洋擾,対日義兵闘争,現代の朝鮮戦争まで,山城はときには戦闘用にも用いられたが,主として住民の避難用に使われた。
執筆者:

山城(京都) (やましろ)

山城(徳島) (やましろ)

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百科事典マイペディア 「山城」の意味・わかりやすい解説

山城【さんじょう】

山地を利用した。朝鮮では侵略軍から居住民を守るため1世紀初頭から山城が造られ,現代の朝鮮戦争に至るまで利用されてきた。日本では北九州や瀬戸内海地方に残る神籠(こうご)石(6世紀,あるいは7世紀築城とされる),660年天智天皇が外寇に備えて築いた福岡の大野(おおの)城,奈良・大坂境の高安(たかやす)城などの朝鮮式山城,8世紀に築かれた中国式山城の怡土(いと)城が知られる。これに対し中世に発達する城は山城(やまじろ)と呼ばれ,時代とともに発達した。
→関連項目鞠智城平山城屋島城

山城【やまじろ】

中世の築城形式の一種。山地を利用した。時代とともに変化があり,山頂に主郭を置いただけの単郭式のものから,尾根に階段状に副郭を並べ,土塁・空堀を築き,山麓の居館(〈(たて)〉ともいう)まで連結させた複雑なものまである。中世には,在地領主の成長とともに土塁と堀をめぐらした居館とその背後の山城が発達。しかし戦法の変化,領国経営上の立地条件などから,室町後期から戦国末期頃にかけて平山(ひらやま)城平城に変化していった。
→関連項目観音寺城岐阜城山城多気城松山(岡山)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山城」の意味・わかりやすい解説

山城
やましろ

京都府南端部,木津川市北部の旧町域。木津川の右岸に位置し,沖積平野とその東の丘陵,山地にまたがる。1956年上狛町,高麗村,棚倉村が合体して山城町が成立。2007年木津町,加茂町と合体して木津川市となった。古墳や,国指定史跡の飛鳥時代高麗寺跡があり,古代に渡来人が定着したところと伝えられる。米作や野菜栽培が行なわれ,特産はシイタケ,たけのこ。上狛は宇治茶集散地として知られる。『今昔物語集』で有名な蟹満寺があり,本堂の銅造釈迦如来坐像は国宝。涌出宮(わきでのみや)の宮座行事は国の重要無形民俗文化財に指定されている。

山城
やましろ

徳島県西部,三好市西部の旧町域。吉野川上流の左岸にある。 1956年山城谷村と三名村が合体して町制。 2006年三野町,池田町,井川町,東祖谷山村,西祖谷山村の3町2村と合体して三好市となった。大部分は山地で,主産業はチャ (茶) ,クリの栽培。かつては「阿波葉」の名で知られるタバコ主産地の一つ。豊富な林産資源を原料とするチップ工場がある。西部に景勝地として有名な大歩危・小歩危があり,剣山国定公園に属する。

山城
やまじろ

山険を利用して山頂,山腹などに築かれた城。平野部に築城された平城 (ひらじろ) に対する語。江戸時代以前の武家の城郭はほとんど山城であったが,戦国時代末期以降,戦法の変化などによって山城は急激に減少し,江戸時代の大名居城のほとんどは平城になっていった。備中松山城 (高梁市) が唯一の遺例。

山城
やましろ

扶桑型戦艦」のページをご覧ください。

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普及版 字通 「山城」の読み・字形・画数・意味

【山城】さんじよう(じやう)

山中の城。北周・信〔江に泛ぶに奉和す〕詩 岸、喬木多く 山、廻樓足る 日ちて江風靜かなり 吟(帝の吟遊)上游を廻(めぐ)る

字通「山」の項目を見る

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「山城」の解説

山城
やまじろ

城郭の地形による分類の一つ。山に築かれた城で,ふつう山麓から城までの高低差が200m以上のものをよぶ。南北朝期には村落を支配する機能がなく,広域の合戦に対応した400mの高山に城が築かれた。室町時代になると山城であっても在地支配機能が不可欠であったため,より城下に近い山が選ばれた。戦国期の大名の拠点山城では,織田信長の岐阜城,毛利元就(もとなり)の郡山(こおりやま)城などのように,山頂の主郭に大名自身が居住し,大名を頂点とした身分差が高さと距離によって空間的に表現された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「山城」の解説

山城
やまじろ

山地を利用して山頂・山腹に築かれた城
古代の辺境の防塞で九州の神籠石 (こうごいし) ・大野城など。中世では,武士が戦時の拠点として用い,楠木正成の千早城・赤坂城などが有名。16世紀前期の鉄砲の伝来により戦術などが変化し,平城が一般化するとともにほとんど築かれなくなった。

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デジタル大辞泉プラス 「山城」の解説

山城

日本海軍の戦艦。扶桑型戦艦の2番艦。1915年進水、1917年就役の超弩級戦艦。海軍学校の練習艦にも使用された。1944年、スリガオ海峡海戦にて被雷、被弾し沈没。

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世界大百科事典(旧版)内の山城の言及

【神籠石】より

…福岡県久留米市高良大社をめぐる切石列石を古く神籠石と呼んでおり,九州から瀬戸内一帯にみられる山をめぐる列石遺跡をこの名で呼ぶようになった。高良大社のそれから神域を示す施設との説もあったが,近年の調査で列石の上部には版築の城壁が築かれていることがわかり,古代山城施設であることが明らかとなった。列石列が,高い所では山頂を取り巻くように,山脚の近くではいくつかの小さな谷を取り込んで斜面に斜めに築かれる九州型と,列石列が山頂を鉢巻状にめぐる瀬戸内型がみられる。…

【山城】より

…山地を利用した城をいい,日本では古代の山城と,平安時代半ばころから始まり,中世以降発達するものの2種がある。後者は山城(やまじろ)と呼ばれることも多い。…

【城】より

…また,居住施設としての比重の高い(たて)や環濠集落,あるいは城壁で囲まれた都市を含める場合もあるが,その場合は城郭や城館という語を用いた方がよい。【村田 修三】
【古代】
 古代の城柵は7世紀中ごろの天智朝以前の神籠石(こうごいし)と,天智朝に唐や新羅に対する防備のため対馬の金田城,讃岐の屋島城をふくむ九州から大和にまで築いた城,8世紀の怡土(いと)城などの西国の防御的な山城(さんじよう∥やまじろ)と,8,9世紀に東北経営の拠点として築いた平城(ひらじろ)または平山城(ひらやまじろ)に分けることができる。 天智朝の百済人の指導による築城は,実戦的に防御正面に急峻な地形を選び,その背後に山稜がめぐる谷をとりいれた楕円形の平面をもち,山稜を石垣や土塁でつないでその間に数ヵ所の城門を配している。…

【高句麗】より

…このことから,匈奴や高句麗だけでなく,中国周辺の諸民族の反乱が起こり,新の滅亡の原因となった。最初の王都とみられる桓仁(かんじん)地方には,典型的な高句麗山城である五女山城と,桓仁の東15kmの高力墓子村の高句麗墓群とが知られている。五女山城は,通化に通ずる陸路と渾河の水路を扼する交通の要衝にあり,三方が高い山や絶壁で囲われ,二つ以上の谷間をとりこみ,南方だけが緩斜面になっている地形(栲栳(こうろ)峰)に山城を作っている。…

【城】より

…また,居住施設としての比重の高い(たて)や環濠集落,あるいは城壁で囲まれた都市を含める場合もあるが,その場合は城郭や城館という語を用いた方がよい。【村田 修三】
【古代】
 古代の城柵は7世紀中ごろの天智朝以前の神籠石(こうごいし)と,天智朝に唐や新羅に対する防備のため対馬の金田城,讃岐の屋島城をふくむ九州から大和にまで築いた城,8世紀の怡土(いと)城などの西国の防御的な山城(さんじよう∥やまじろ)と,8,9世紀に東北経営の拠点として築いた平城(ひらじろ)または平山城(ひらやまじろ)に分けることができる。 天智朝の百済人の指導による築城は,実戦的に防御正面に急峻な地形を選び,その背後に山稜がめぐる谷をとりいれた楕円形の平面をもち,山稜を石垣や土塁でつないでその間に数ヵ所の城門を配している。…

【朝鮮】より

…このように西方や北方の勢力を結集したモンゴルの侵略とこれに対抗,あるいは追従するなかで,民族文化を形成していったことをうかがうことができるであろう。朝鮮神話
[侵略に対処する山城]
 朝鮮はユーラシア大陸の東端にある半島で,大陸の諸民族の中では比較的民族間の戦争の少ないところである。しかし,日本のように民族間の戦争をほとんど意識しない社会とは異なり,日常生活の中でもこの点に留意してきた。…

【奈良時代美術】より

…白鳳美術の発端を白村江の敗戦とするゆえんは,天智朝(662‐671)はわずか10年に満たないものの,この時代,新たに初唐様式を積極的に摂取しようとした点に,文化史・美術史上の画期を求めようとするためである。
【天智朝】
 白村江の敗戦後,天智朝は大野城はじめ各地に山城(さんじよう)を築き,近江大津宮へ遷都するなど防備を厳にしながら,律令国家建設にひたむきな前進をとげようとする。百済滅亡後,多数渡来した百済人や,その後の半島の不安定な状況を反映する唐,新羅,高句麗からの頻繁な遣使を通して,初唐の新技術が導入されたと考えられる。…

※「山城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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