岩下茶屋跡(読み)いわしたちややあと

日本歴史地名大系 「岩下茶屋跡」の解説

岩下茶屋跡
いわしたちややあと

[現在地名]北部町貢

瑞巌ずいがん寺跡の近くにあった藩主の休憩所で、「国誌」に「府一丁目札辻ヨリ一里半余、出京町構口ヨリ一里五丁二十二間」とある。延宝三年(一六七五)細川綱利によって造営された。「国誌」によれば「怪巌清水幽ノ勝地」で、茶屋には綱利自筆の額が四つあり、玄関に掛かる額は竹縁の張額で額面に「二楽園十景」が記されていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 熊本藩年表稿

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む