日本歴史地名大系 「飽託郡」の解説
飽託郡
ほうたくぐん
郡域は熊本市により大きく二分され、熊本市の北の北部町・河内町と、南の飽田町・天明町は同一郡名を冠するが、地域の性格がまったく違い、同一には論じられない。郡の北域は南端にある
郡名のもとになった飽田郡は平城宮出土の天平三年(七三一)の木簡に郡名があり、
〔原始・古代〕
原始時代の遺跡は北部町に集中しており、山間部の河内町や、白川・緑川の氾濫原や海であった飽田町・天明町にはきわめて少ない。北部町の井芹川上流域は縄文時代後・晩期の遺跡密集地であり、
〔中世〕
長元二年(一〇二九)沙弥寿妙が開発私領の公験を得たことに始まる
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報