朝日日本歴史人物事典 「細川綱利」の解説
細川綱利
生年:寛永20(1643)
江戸中期の熊本藩3代藩主。2代藩主光尚の長子,母は清水氏,幼名六丸。慶安2(1649)年7歳のとき父光尚が急逝したため藩分割の危機に直面したが,藩祖細川藤孝・忠興以来の功績,家中の団結を評価され,成人まで親戚小笠原忠真の監督下におくことを条件に,遺領相続を許された。江戸に住み,寛文1(1661)年初入国までは家老の合議制により藩政が保たれた。江戸文化の導入に努め,63年におよぶ在任中に,水前寺成趣園(桃山式回遊庭園)の造築,相撲の吉田司家の招請,式内社疋野神社の再興,御座船波奈之丸の修理,赤穂浪士の接待,在町の取り立てなど文治主義政策をとった。しかし,江戸風の華美な風俗の導入は保守派家老とのあつれきを生じ,諫言していれられず隠居する家老も出た。晩年にも永らく江戸に留まったので,江戸では国許に帰れば家臣の押し込めにあうので帰国しないのではないかと噂されたという。正徳2(1712)年隠居した。
(松本寿三郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報