細川綱利(読み)ほそかわ つなとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川綱利」の解説

細川綱利 ほそかわ-つなとし

1643-1714 江戸時代前期-中期大名
寛永20年1月8日生まれ。細川光尚(みつなお)の長男。慶安3年8歳で肥後熊本藩主細川家3代となる。年少のため親類の小倉藩主小笠原忠真(ただざね)が後見することで相続がゆるされた。寛文(かんぶん)元年国入りし,63年間藩主をつとめた。6年弟の利重に3万5000石を分与,熊本新田藩をつくった。正徳(しょうとく)4年11月12日死去。72歳。

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367日誕生日大事典 「細川綱利」の解説

細川綱利 (ほそかわつなとし)

生年月日:1643年1月8日
江戸時代前期;中期の大名
1714年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の細川綱利の言及

【熊本藩】より

…肥後国飽田郡府中(現,熊本市)に藩庁を置いた外様大藩。1587年(天正15)佐々成政が隈本城に封ぜられたのが起りで,領域は球磨郡を除く肥後国12郡であった。成政は翌年起こった肥後一揆の責を負って尼崎で切腹,肥後国は豊臣秀吉子飼の加藤清正(北半国19万石)と小西行長(南半国14万石)に分与された。この間秀吉の上使衆によって球磨郡を除く肥後国検地がなされ,肥後54万石の表高が確立した。ついで1600年(慶長5)清正は関ヶ原の戦で西軍に属した小西行長の旧領を合わせ,さらに同年天草郡と豊後国直入,大分,南海部3郡内との替地を許され,ここに肥後国の大半と豊後3郡にまたがる熊本藩領54万石が確定した。…

【細川の血達磨】より

…主人公の名をとって《大川友右衛門(おおかわともえもん)》とも題する。細川綱利侯に仕えた大川友右衛門は,江戸屋敷類焼の際,切腹して主家の重宝達磨の掛軸をみずからの腹中に収め,命にかえてみごと,お家の宝を守り通したといわれる。この血に染まった達磨が,細川の血達磨と呼ばれ,長く友右衛門の忠節がたたえられた。…

※「細川綱利」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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