岩屋城(読み)いわやじょう

日本の城がわかる事典 「岩屋城」の解説

いわやじょう【岩屋城】

福岡県太宰府(だざいふ)市浦城にあった山城(やまじろ)。築城は、天文年間(1532~54年)に大友氏の武将・高橋鑑種(あきたね)と伝えられ、立花山城とともに大友家による筑前支配の拠点であった。戦国時代末期の1586年(天正14)、大友軍の高橋紹運(じょううん)以下763人の籠城兵が島津忠長率いる島津軍3万5000と半月間互角に戦い(岩屋城の戦い)、壮絶な討ち死にをした場所として知られている。大宰府天満宮のすぐ背後にある四王寺山(しおうじやま)の南に位置し、多数の曲輪(くるわ)や竪堀、堀切、畝状空堀群などが残り、山頂には古代山城(さんじょう)として有名な大野城址もある。西鉄太宰府線太宰府駅から徒歩50分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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