日本の城がわかる事典 「立花山城」の解説 たちばなやまじょう【立花山城】 福岡県糟屋(かすや)郡新宮町、久山町、福岡市東区にまたがる標高367mの立花山山頂にあった城郭。1330年(元徳2)、豊後国守護の大友貞宗(おおともさだむね)の次男大友貞載(さだとし)が築き、立花氏を称するようになった。港を見下ろす絶好の地にあり、戦国時代には大内氏、毛利氏と大友氏との間で激しく争われた。1586年(天正14)、当時20歳の立花統虎(むねとら)(のち立花宗茂に改名)がこの城に籠もり、実父高橋紹運(じょううん)の岩屋城を落とした島津氏の約4万の侵攻に徹底抗戦。その後、豊臣秀吉の九州征伐により立花氏は筑後国柳川城へ移封となり、新たに小早川隆景(こばやかわたかかげ)が入城すると、守るための山城であることからは存在意義をなくし、名島城の築城後は支城になり、1601年(慶長6)黒田長政が福岡城を築いた後は廃城となった。現在は山頂の本丸跡にわずかに石垣跡、古井戸跡が残るのみである。JR博多駅から車で約30分。◇立花城(たちばなじょう)ともいう。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報