20世紀日本人名事典 「川人 潔太郎」の解説 川人 潔太郎カワヒト キヨタロウ 明治・大正期の陸軍中将 生年慶応3年11月3日(1867年) 没年大正14(1925)年2月21日 出生地阿波国(徳島県) 学歴〔年〕陸士卒,陸大卒 経歴徳島藩士・川人利里郎の子に生まれる。明治22年陸軍工兵少尉となり、第5大隊中隊長、陸軍士官学校教官、下関要塞参謀、第10大隊長、砲工学校教官、技術審査部付同部評議員などを歴任。日清戦争では第2軍兵站電信部副官として出征、のち下関要塞司令部副官を務める。日露戦争では第2臨時築城団築城班長として従軍、のち第16師団参謀となる。その後、陸軍大学校教官を務め、大正8年中将となり、予備役に編入された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報