巨智庄(読み)こちのしよう

日本歴史地名大系 「巨智庄」の解説

巨智庄
こちのしよう

和名抄」に記載される餝磨しかま郡巨智郷が庄園化したもので、巨知庄とも書く(明応六年九月一三日「赤松則貞夫役免除状」上月文書)。貞応三年(一二二四)以降と推定される宣陽門院領目録(島田文書)上西門院から宣陽門院に移譲された新御領の一つとして巨智庄がみえる。当庄はこの頃すでに地頭押妨にさらされていた(六月一九日「北条義時書状写」国学院大学所蔵古筆写)。嘉禎四年(一二三八)五月一一日、坂上明胤は父明定から譲られた当庄地頭職を安堵されている(吾妻鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 吾妻鏡

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む