吾妻鏡
あづまかがみ
『東鑑』とも書く。鎌倉幕府の前半を扱った歴史書。全体の巻数は不明。 51巻もの,47巻ものなどがある。治承4 (1180) 年の以仁 (もちひと) 王の平家追討の挙兵に始り,文永3 (1266) 年将軍宗尊親王の上洛までの事績を日記体に編修したもの。 13世紀末か 14世紀初めの成立と思われる。編修は幕府当局の公的な機関で行われたと思われるが,はっきりしない。寿永2 (1183) ,建久7 (96) ,同8,同9,仁治3 (1242) ,建長1 (49) ,同7,正元1 (59) ,弘長2 (62) ,文永1 (64) 年の記事が欠落。ほかにも欠け,伝わっていない月々も多い。これらの欠落が,転写中に失われたのか,もともと編修されなかったのかは不明。記事は各将軍 (源頼朝,頼家,実朝,藤原頼経,頼嗣,宗尊親王の6代) に分けられ,各将軍1代の前に,当時の天皇や上皇,摂政,関白の略歴を載せ,月日を追って将軍在任中の治績を記録している。幕府当局に保管されていた史料や,武士から提出された史料のほか,京都の貴族の日記などを利用しているが,対象は幕府とその配下の武士の事柄に限定され,京都の貴族の間に起った事件や,幕府に属さない武士相互の抗争などはほとんど扱っていない。したがって,幕府の歴史を作ることに主眼がおかれたものといえる。これは一部の人にしか読まれなかったが,徳川家康が愛読し治世の資にして以来広まり,江戸時代には,各大名はきそってこれを披見したといわれる。『国史大系』に収録。
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吾妻鏡
あづまかがみ
源頼政挙兵の1180年から1266年までの鎌倉幕府の記録
日記の体裁をとる編年体の史書。52巻。3代将軍までと,それ以後とで成立年代が違う。編纂者は不明。内容は比較的正確で,鎌倉時代前半期の政治および武家社会研究の基本史料であるが,その利用には吟味を要する。
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あずまかがみ〔あづまかがみ〕【吾妻鏡/東鑑】
鎌倉時代の歴史書。鎌倉幕府の家臣の編纂。52巻(巻45欠)。治承4年(1180)源頼政の挙兵から、文永3年(1266)までの87年間を変体漢文の日記体で記す。
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吾妻鏡
(通称)
あずまかがみ
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- けいせい吾妻鑑
- 初演
- 宝永3.11(江戸・森田座)
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あづまかがみ【吾妻鏡】
東鑑とも書く。鎌倉幕府が編纂した幕府の歴史書。巻数未詳。後世52巻と訛伝。編年体で,各将軍ごとにまとめられる。13世紀末~14世紀初頭の編纂。ただし完成したかどうか不明。1180年(治承4)以仁王・源頼政の挙兵に起筆し,1266年(文永3)6代将軍宗尊親王送還までを扱う。日記体をとるが,種々の史料を収集して,後に編纂した書物である。その編纂の仕方は,収集した史料を年月日順に貼り継ぎ,これに編纂者が筆を加えるという,伝統的な編修方法によっているため(これを抄録,切貼り細工と呼ぶ),同時代のいろいろな文体が収録される結果となり,このため鎌倉時代前後の和風変体漢文を指して,吾妻鏡体と呼ぶ。
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世界大百科事典内の吾妻鏡の言及
【関東往還記】より
…金沢文庫に伝わった古写本(尊経閣文庫現蔵,《史籍雑纂》所収)は,首尾を欠いていたが,その後金沢文庫から欠如している部分が発見され,関靖編によって《校訂増補関東往還記》として刊行された(1934)。この日記は《吾妻鏡》の欠如部分を補う貴重な史料である。【山田 洋子】。…
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