市谷田町四丁目代地(読み)いちがやたまちよんちようめだいち

日本歴史地名大系 「市谷田町四丁目代地」の解説

市谷田町四丁目代地
いちがやたまちよんちようめだいち

[現在地名]新宿区神楽坂かぐらざか二丁目

神楽坂の南側を占める片側町。東は牛込牡丹うしごめぼたん屋敷など、南は旗本山木家の屋敷、西はあな八幡旅所など、北は旗本本多家・国領家の屋敷など。町内は京間で東西間口が五四間余(裏幅五一間余)、南北裏行は東側一三間余、西側が二七間余、総坪数は八六二坪余。文政一〇年(一八二七)の家数は九五、うち家持九・家主一三・地借七・店借六六で、公役銀は市谷田町四丁目と組合で納めていた。文政五年尾張藩市谷上屋敷向いにある市谷田町四丁目町内から火を出したため、翌六年同町の一部は御用地として召上げられ、尾張藩上屋敷に対する火除地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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