朝日日本歴史人物事典 「平政隆」の解説
平政隆
江戸初期の大工技術書『愚子見記』の著者。同書に平政隆とあり,平姓も名乗ったが,今奥政隆が正式の名である。承応3(1654)年に内裏造営に参加した功で出羽少掾となり,今奥出羽とも名乗っている。その後,延宝度の内裏造営にも参加し,幕府大工の中井家の配下の中心的存在として活躍した。『愚子見記』は9冊からなり,設計から見積もりに至るまでさまざまな大工技術に関する資料が記録されている。中に江戸城西丸御殿(1650),江戸城本丸御殿(1659)などの記事があり,幕府関係の多くの工事にかかわったものと思われる。没年は天和3(1683)年ごろと推測される。
(西和夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報