平田昇(読み)ヒラタ ノボル

20世紀日本人名事典 「平田昇」の解説

平田 昇
ヒラタ ノボル

大正・昭和期の海軍中将



生年
明治18(1885)年12月1日

没年
昭和33(1958)年5月19日

出生地
東京

学歴〔年〕
海兵卒,海大〔大正9年〕卒

経歴
明治36年海軍兵学校に入り、45年水雷学校高等科を卒業後、霧島分隊長となる。大正9年海軍大学校を卒業し、第1艦隊参謀、那智艦長などを経て、昭和8年第1潜水戦隊司令官、10年侍従武官を務め、12年海軍中将となる。14年佐世保鎮守府長官、15年第6艦隊長官。16年南遣艦隊長官として南部仏印進攻に当たる。太平洋戦争開始後は、横須賀鎮守府司令長官。17年軍事参議官を経て、18年予備役に退き、在郷軍人会副会長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平田昇」の解説

平田昇 ひらた-のぼる

1885-1958 大正-昭和時代前期の軍人。
明治18年12月1日生まれ。平田東助次男。那智(なち)艦長,侍従武官をつとめ,昭和12年海軍中将。15年第六艦隊長官,16年南遣艦隊長官,横須賀鎮守府司令長官。退役後は在郷軍人会副会長となる。昭和33年5月19日死去。72歳。東京出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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