日本歴史地名大系 「平礼石里」の解説 平礼石里ひられいしのさと 鹿児島県:川内市西手村平礼石里中福良(なかふくら)町の平嶺石寺金剛(こんごう)院跡を含む地に比定される。寛喜三年(一二三一)二月一九日の平忠友譲状(延時文書)には、忠友から子息忠富へ譲られた相伝の所領成枝(なりえだ)名のうちに平礼石里がみえる。その内訳は木下一町七反(阿弥陀堂寄進田四反・御前方二反を除く)・木下七反・「奴馬□所々」八反三〇(荒一反二〇あり、御前方を除く)であった。また成枝名内村々畠地として平礼石居薗一所(南は牟田を限る)がある。平嶺石寺(平礼石寺)の寺名は当里に建立されたことにちなむとも考えられ、忠友の父薩摩郡司忠直は同寺座主職をもっていた(建仁三年五月二七日「薩摩郡司平忠直譲状」旧記雑録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by