平礼石里(読み)ひられいしのさと

日本歴史地名大系 「平礼石里」の解説

平礼石里
ひられいしのさと

中福良なかふくら町の平嶺石寺金剛こんごう院跡を含む地に比定される。寛喜三年(一二三一)二月一九日の平忠友譲状(延時文書)には、忠友から子息忠富へ譲られた相伝の所領成枝なりえだ名のうちに平礼石里がみえる。その内訳は木下一町七反(阿弥陀堂寄進田四反・御前方二反を除く)・木下七反・「奴馬□所々」八反三〇(荒一反二〇あり、御前方を除く)であった。また成枝名内村々畠地として平礼石居薗一所(南は牟田を限る)がある。平嶺石寺(平礼石寺)の寺名は当里に建立されたことにちなむとも考えられ、忠友の父薩摩郡司忠直は同寺座主職をもっていた(建仁三年五月二七日「薩摩郡司平忠直譲状」旧記雑録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む