日本歴史地名大系 「西手村」の解説 西手村にしでむら 鹿児島県:川内市西手村[現在地名]川内市隈之城町(くまのじようちよう)・冷水町(ひやみずちよう)・中福良町(なかふくらちよう)・青山町(あおやまちよう)・都町(みやこちよう)・尾白江町(おじろえちよう)・木場茶屋町(こばんちややちよう)隈之城郷東手村の西にあり、北西は同郷宮里(みやざと)村、南は日置郡串木野郷下名(しもみよう)村(現串木野市)。出水(いずみ)筋は東手村との境に沿って北上し、向田(むこうだ)町を経て渡唐口(ととんくち)で川内川を渡った。南西山間部荒峯(あらみね)に発した木場谷(こばんたに)川は北東流したのち百次(ももつぎ)川を合せて隈之城川となり、東境を蛇行しながら流れて、平佐(ひらさ)川を合せたのち川内川に入る。西部に御(み)嶽(三嶽)・彦(ひこ)嶽がある。「上井覚兼日記」天正二年(一五七四)八月一六日条に島津貴久四子で義久弟の家久の所領として「隈城西手名」四〇町ほどがみえる。家久は同所は「隈城と六ケ敷事度々出来候」ことなどを理由に入来院氏から島津氏に進上された山田(やまだ)・天辰(あまだつ)・田崎(たさき)三名計四二町ほどとの入替えを願出た。しかし義久は山田は一城を抱える地であることなどを理由に入替えを許さなかった(同書同月一八日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by