日本歴史地名大系 「平須賀村」の解説 平須賀村ひらすかむら 埼玉県:幸手市平須賀村[現在地名]幸手市平須賀安戸(やすど)村の北に位置し、古利根川と庄内古(しようないふる)川との間の沖積地に立地する。西は天神島(てんじんしま)村、東は遠野(とおの)村(現杉戸町)・神扇(かみおうぎ)村。渡良瀬(わたらせ)川の古い流路跡が形成する自然堤防の微高地と後背低湿地からなる。慶長三年(一五九八)一〇月幸手領の地頭一色次郎照直は当地の宝聖(ほうしよう)寺に三貫文を寄進している(「一色照直判物」同寺文書)。同六年奥州仙台伊達家の久喜鷹場に指定された(貞享元年「久喜鷹場村数覚」伊達家文書)。寛永四年(一六二七)検地が実施され、同年の検地帳(船川家文書)の表書に「下総国勝鹿郡幸手之内平須賀村」「下総国猿嶋郡幸手之内平須賀村」とあり、当時は下総国に属したが、猿嶋(さしま)郡か勝鹿(かつしか)(葛飾)郡か判然としなかったとみえる。同一四年の検地帳(同文書)には「武州幸手之内平須賀村」とあり、武蔵国に所属替えになっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by