日本歴史地名大系 「広小路町」の解説 広小路町ひろこうじちよう 大阪府:大阪市東区広小路町[現在地名]東区上(うえ)町一丁目明治六年(一八七三)吉右衛門肝煎地(きちえもんきもいりち)・北清水谷(きたしみずだに)・十三(じゆうさん)小路・千人引(せんにんびき)をあわせて成立した町(大阪府全志)。江戸時代には北は上堺(うえさかい)町、南は山家屋(やまかや)町、西は谷(たに)町三丁目、東は広小路に囲まれた地域で、寛文期(一六六一―七三)の貼紙をもつ大坂町中並村々絵図では追手城代屋敷となっている。延享二年(一七四五)から四年の城代阿部正福の時には、城代家中屋敷および蔵奉行手代屋敷があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by