広瀬恒美(読み)ひろせつねみ

世界大百科事典(旧版)内の広瀬恒美の言及

【活劇映画】より

時代劇映画
[戦前の活劇]
 1920年代から30年代にかけて,活劇は隆盛をきわめ,活劇スターが輩出した。学生スポーツ映画の嚆矢(こうし)《我等の若き日》やオートバイ活劇《青春の歌》(ともに1924)や牛原虚彦監督とのコンビ作《潜水王》(1925),《近代武者修業》,《陸の王者》(ともに1928)などの鈴木伝明,山本嘉次郎監督《爆弾児》(1925)や《鉄拳児》,オートバイ活劇《快走恋を賭して》(ともに1926)などの高田稔,《恋は死よりも強し》(1925),《赤熱の力》(1926),《鉄拳縦横》(1927)などの竹村信夫,田坂具隆監督《阿里山の俠児》(1927),《雲の王座》(1929)や阿部豊監督《覇者の心》(1925),《非常警戒》(1929)や内田吐夢監督《東洋武俠団》(1927)などの浅岡信夫,溝口健二監督の海洋活劇《海国男児》(1926)や田坂具隆監督《鉄腕記者》,《黒鷹丸》,また内田吐夢監督《漕艇王》(ともに1927),《太洋児・出船の港》(1929)などの広瀬恒美である。これらの映画はときに〈猛闘劇〉と呼ばれ,鈴木伝明は学生出身のスポーツ俳優第1号とされ,続く浅岡信夫は陸のスポーツ俳優,広瀬恒美は海のスポーツ俳優と称されて,浅岡信夫はみずから監督もした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」